(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

『D坂の殺人事件』・『心理試験』 江戸川乱歩

 明智小五郎の登場と犯罪心理学のご愛敬

 江戸川乱歩は本当に何にでも興味を持つ人で、まあ小説家に成るような奇特な人々は大体そうなのかもしれないが、当時流行っていたミュンスターベルヒによる心理学の書物なんぞも読み、その中の犯罪心理に関する部分から小説の種を思い付いたりもしたらしい。この辺りの心理学を小説に活かそうした経緯は『楽屋噺』*1の中に以下の様に述べられている。

ある古本屋で、ミュンスターベルヒの『心理学と犯罪』という本を見つけ、大喜びで買って帰って、読んで見ると仲々面白い。小酒井氏が『心理的探偵法』という随筆に書いていられる原本であることも分った。そこで、何とかこれで一篇作り上げようと考えたのだが、ただ心理試験丈けではミュンスターベルヒそのままで、何の奇もなく、創作とは申されぬ。
-『楽屋噺』 江戸川乱歩

 この所感は『心理試験』を思い付いた経緯に関して述べているのだが、同様にミュンスターベルヒの犯罪心理を多少使っているものとして『D坂の殺人事件』がある。どちらも心理的な推察を巧く材料にした中々面白い作品である。乱歩の作風の得な所は、心理洞察等という一見理詰めの様で実は曖昧模糊としたモノをそのまま曖昧な上澄みを活かして小説に用いる事が出来る処だろう。

 上述の2作は相次いで発表された。まず、『D坂の殺人事件』(大正13年:1924年)は乱歩のその後に多大な影響を与えた一作である。勿論、ある作品がその作者の将来に影響を与えると云うのは多かれ少なかれある事で、この小説だけがそうだという事は無いのだろうけれども、この『D坂の殺人事件』の最大の特異点は何と言ってもかの「明智小五郎」がこの世に生み出された最初の作品だという点にある。

 明智小五郎の初登場時の人物描写は以下の様なものである。

年は私と同じくらいで、二十五歳を越してはいまい。どちらかといえば痩せた方で、先にも言った通り、歩く時に変に肩を振る癖がある。といっても、決して豪傑流のそれではなく、妙な男を引合いに出すが、あの片腕の不自由な講釈師の神田伯竜を思い出させるような歩き方なのだ。伯竜といえば、明智は顔つきから声音まで、彼にそっくりだ――伯竜を見たことのない読者は、諸君の知っているところの、いわゆる好男子ではないが、どことなく愛嬌のある、そしてもっとも天才的な顔を想像するがよい――ただ明智の方は、髪の毛がもっと長く延びていて、モジャモジャともつれ合っている、そして彼は人と話しているあいだにも、指でそのモジャモジャになっている髪の毛を、さらにモジャモジャにするためのように引っ掻き廻すのが癖だ。
-『D坂の殺人事件』 江戸川乱歩

 この記述を読んで、大抵の推理探偵小説愛好家はアッと思うだろう、もしくは既に良く知っているかもしれない。これはもう正に横溝正史が生み出した金田一耕助そのままではないか。勿論、金田一耕助登場の方がずっと後になるので、横溝正史がこの最初期明智小五郎像を拝借して金田一耕助を創造したのは間違いないのであるけれども。明智小五郎が一般にイメージされる割としゅっとした探偵に成る迄には案外作数が掛かっていて、例えば大正15年の『一寸法師』では上海帰りで中華衣装に身を包むエキゾチックな明智小五郎が描かれている*2

 さて肝腎の心理洞察であるが、ここで描かれている物は、主として事件証人の証言の非信頼性に関するものである。二人の書生がほぼ同じ場所から犯人と思しき人間の服装を見たのであるが、その証言が全く相異なっているのである。語り手である「私」は何とか論理的な説明を思い付くのであるが、明智はそれを退けて、ミュンスターベルヒの『心理学と犯罪』を引き合いに出し、証人の記憶詰まる処、人間の観察と記憶という物は非常に頼りない事を指摘する*3。こういう記述を読むたびに、乱歩という人は推理探偵小説の構造的な限界を逆手に取るのが非常に巧みだな、と感心する。実際、人の視覚認知や記憶が不確かなモノである事は現在では割と良く知られているとは思うのだが、そうは言っても、推理探偵小説内では一般に小説内の目撃者の証言は基本的に信頼に足るものとして扱われているのである。この辺りを上手く捻って乱歩の世界に引き摺り込む所が乱歩先生の乱歩先生足る処だろう。この『D坂の殺人事件』は乱歩の小説の中で特別面白い方と言う訳では無いけれども、名探偵明智小五郎の初登場作品という意味で是非とも読んでおきたいお話である。

 ミュンスターベルヒの『心理学と犯罪』から影響を受けたもう一作『心理試験』は『D坂の殺人事件』の翌年大正14年(1925年)に発表されている。『D坂の殺人事件』が明智小五郎の誕生という意味に於いて乱歩に取って重要な小説となったのと同様、この『心理試験』も乱歩の作家人生を左右する重要な一作となった。というのも、乱歩はこの小説を小酒井不木に送り、果たして専業小説家として暮らして行けるかどうかを問うたのである。それに対しての小酒井氏の返答は当然非常に好意的なモノであって、それだけで決心したのでは無いにしても、この応援に力を得た乱歩は以後、専業の小説家として邁進して行く事になる訳である*4

 この『心理試験』は乱歩の小説の中では割と理知的な作りの小説に属すると思う。乱歩は後に意識的にそうした積りは無かったと述懐しているが、このお話は乱歩の最初の「倒叙」推理小説になっており、読者には最初から犯人が分かっていて、さて、この一見完璧に見える犯行がいかにして露見するのか?という所を楽しむ事になる。上で引用した様に、ミュンスターベルヒの書物を読んで種を仕入れたがそれをどの様にして美味しく仕上げるかに苦心した様で、同様に心理の抑圧の様な側面を持っているドストエフスキーの『罪と罰』を読んでそのアイデアを産み出したらしい。つまり、賢明な犯罪者の場合はその心理的作用を上手くコントロール出来るだろうが、その際に心理試験を用いて聡明な犯罪者を追い詰める事が出来るかどうかという空想を推理探偵小説という形に仕上げた訳である。

 さて、実際の処、心理捜査という物は犯罪者の推定にどれくらい役に立つのだろうか? 心理洞察を推理小説に活かす発想自体は、小酒井不木や後にヴァン・ダインや小栗虫太郎なんかも思い付いて試みてはいるが、実際の処論理的にそれを組み立てるのは中々に難しいものがある様で、何れの作に於いてもそれ程、心理操作が推理の解決に役に立っている様にも思えない*5。現実の世界に於いてもある程度確率論的に捜査の範囲を狭めることは出来てもあくまで確率の範囲を出ない事は想像されうるだろう。   

 と言う事で、乱歩は所謂処の心理試験が必ずしも上手く作用しないであろうという事を想定してお話を組み上げた。犯人は心理試験の裏を掻いて十分にそれに対する備えをしていたのである。私は心理試験の効用を余り信じていない方だからこういう風に裏を掻くお話なんかは中々爽快であって、やっぱり乱歩はこういう流行り物に一石投じるのが巧いなと思ってしまった。まあ、これは小説なので、残念ながら落ちというモノがつく訳で、天才探偵明智小五郎がかなり強引な推理で無理矢理に解決してしまう処が個人的にはやや残念ではあった。乱歩のお話は構成上理知が勝って来るとやや残念な感じになってしまう処があるけれども、やはり、官憲の追求を如何に逃れるかという犯人の異常心理の描き方なんかは本当に乱歩節で、最後の辺りまでは手に汗を握って楽しめる佳作ではあると思う。

 

 今回もいつもの如くkindle版を読んだ。『D坂の殺人事件』は挿絵があるという点で創元社から出ている短編集『D坂の殺人事件』が断然にお奨めなのだが、『心理試験』の方は残念ながら創元推理の電子書籍には収録されていない様だ。光文社から出ている乱歩全集第1巻『屋根裏の散歩者』には両者とも収録されているし、乱歩自身の解説(『楽屋噺』を含む)も収録されている。効率重視の場合は光文社の乱歩全集が良いだろう。

屋根裏の散歩者?江戸川乱歩全集第1巻? (光文社文庫)

屋根裏の散歩者?江戸川乱歩全集第1巻? (光文社文庫)

 

*1:光文社刊の乱歩全集第24巻『悪人志願』中に収録されている。

*2:尚、神田伯竜氏の写真は余りはっきりしたものが残っていないのだけれども、調べる限り、失礼ながら所謂ハンサムというタイプの顔立ちでは無い様だ。

*3:原著を手に入れる事が出来なかったのでここで乱歩が記している事が実際にミュンスターベルヒの著作に記されているかどうかは未確認なのであるけれども、大体一般論的に現代に於いては首肯出来るものであると思う。

*4:上述した『楽屋噺』に詳細が記されている。

*5:ただ、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』で描かれるそれは圧巻ではある。無意味に空回りしていたとしても、その空回りの仕方が素晴らしく印象的であるので、あれはあれで別な効果を生み出していると思う。