(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

“The Big Bow Mystery” Israel Zangwill (『ビッグ・ボウの殺人』 イズレイル・ザングウィル)

 本格密室殺人の嚆矢

 相変わらず、江戸川乱歩の古典ベストテンを読み続けていて、これで丁度5作目を読み終わった。今回読んだのは1891年に発表されたザングウィルの“The Big Bow Mystery”*1、この小説は推理探偵小説史に燦然と輝く密室殺人トリックを提示した見事な作品なのである。

 さて、推理探偵小説のバリエーションには色々な物があるが、その構成要素として重要な物はなんであろうか?随筆『幻影城』に於いて、江戸川乱歩が以下の様に推理探偵小説の定義を行っている。

主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする小説である。

 そうつまり、まず、犯罪に関する謎がなければならない。百歩譲って犯罪でなくても何か複雑なそれでいて興味をそそる様な謎がなくてはならない。そして、それが、出来れば偶然ではなく、探偵役が頭脳を駆使して論理的に解決される事が期待されるわけである。つまり推理小説に必要な物は、大別して「謎」と「推理」という事になると思う。

 この2要素の内「推理」に属する部分は案外自由度が少ない。基本的に推理探偵小説に於いては超自然的能力に依る解決は期待されておらず、事実と理知に依る推理の組み合わせで捜査が進む為、推理過程に多少のケレン味があったとしても、基本的にはそこまで突飛な推理と言うモノは存在しない。勿論、この論理的推理過程というモノが小説に登場するまでには小説史上相当な時間が掛かっていて、ポーが1841年にデュパンを創造するまでは明確には存在しなかったのではあるけど、その後のバリエーションはそれ程大きくはない。

 これに対して「謎」の方は相当なバリエーションが存在する。その謎のバリエーションは時代と共に増えていく訳であるが、推理探偵小説の始祖エドガー・アラン・ポーはその小説に於いて既に幾つかの謎の原型を作ったと看做されており、江戸川乱歩は『モルグ街の殺人』を「密室殺人」、『お前が犯人だ』を「探偵即犯人トリック」、そして『盗まれた手紙』を「盲点原理」としてその先駆者的試みを褒めちぎっている。さて、個人的にはこの『モルグ街の殺人』が密室殺人だという事に関してはあんまり納得がいかない。勿論密室は密室なのだが、オランウータンを持ち出したり、窓が固定されていない事に気付かないだとかは、本格的密室とは言い難い。

 と云う訳で、私は『モルグ街の殺人』よりも、この“The Big Bow Mystery”こそが本格的密室殺人を描いた最初の推理小説だと強く主張したい。

 お話の筋は至って単純である。或る朝、労働運動指導者のMr. Constantが部屋から起きて来ない。不安に感じた家主のDrabdump夫人は近所に住む引退刑事Grodmanを呼び、二人で部屋の確認に行く。部屋の扉は固く施錠されており、Grodmanが力尽くで扉を打ち破ってMr. Constantの様子を確かめるのだが、Drabdump夫人の目に入ったのは喉を掻き切られたMr. Constantの姿であった…… 密室の中で如何にして殺人は行われたのか?

 密室殺人は推理探偵小説には良く出て来る謎なのであるが、実は沢山の問題点を孕んでいる謎でもある。まずは肝腎のトリックが詰まらない事がママある。密室殺人トリックというと、例えばポーの『モルグ街の殺人』やドイルの『まだらの紐』の様に動物が都合よく使われたり、また、ディクソンの『ユダの窓』や小栗虫太郎の『聖アレキセイ寺院の惨劇』の様に機械パズル的な物がしょっちゅう使われたりするのだが、正直言って私はこれらのトリックは好みでは無い。その点、本小説“The Big Bow Mystery”は、それらの凡百の機械的奇術に頼る事無く、本格密室の嚆矢として見事に屹立している。次の問題として密室を構成する必然性という点がある。推理探偵小説によっては面白いトリックを考えて巧く密室を提示している事があるのだが、はっきり言って必然性に乏しく却って犯人の候補を狭めてしまっている場合が散見される。これも個人的には興醒めの一種である。多くの作家はこれを必然に依る密室ではなく、偶然が齎した密室という事にして、自縄自縛に陥る事を避けているのであるが、本作はその問題をもクリアしている。犯人が密室殺人を行う必然性がそれなり以上に正当化されており、意図的に密室殺人を行っているのである。

 つまり、“The Big Bow Mystery”に於ける密室殺人は、1891年という推理探偵小説の歴史に於ける比較的初期段階に於いて既に、そのトリックとそしてその必然性に於いて論理的に申し分ないと云う素晴らしい完成度を誇っている。推理探偵小説好きであれば、本作は必読の書であると思う。この密室殺人には、かの有栖川有栖氏も惚れ込み称揚した御蔭で、絶版状態にあった邦訳版『ビッグ・ボウの殺人』が大垣書店に於いて再販され出したという話も有る位である。やはり、人気推理小説作家の影響力は大きい様だ。日の眼を浴びていない他の古典名作にも救いの手が伸びる事を期待して止まない。

 さて、とは言っても、この“The Big Bow Mystery”に問題点が存在しない訳ではない。まず、第一にお話はややフェアさに欠けるのである。この問題が非常に大きい。人に依っては納得が行かないのでは無いだろうか。これは読んでいて非常に残念に思うのが、まだ推理探偵小説に於いてその記述技術が発展していなかったせいであろう、物語中幾つかの部分を巧く描写処理出来ていないがために重大な欠点が顕れてきてしまうのである。例えば同じトリックを現代の作家が現代の記述技術で以って叙述すれば、それこそ稀代のトリックが完成していたと思われる。また、これに付随して、殺害時の方法にも難点がある。この問題も少し手法を変えれば解決出来たと思われる処が惜しい。これらが返す返すも残念だし、これらの点が人に依ってはとてつもない減点に感じるかもしれない。私はその残念な部分は再読の際には脳内で修正しておいた。

 密室殺人が売りのこの小説であるが、他にも中々癖があって面白い。まず、やたら微妙な諧謔に溢れている。例えば労働問題と権力の鍔迫り合いから、切り裂きジャック、『モルグ街の殺人』、そして軽妙な会話の数々である。著者がその前書きで、ちょっと諧謔が多過ぎたかも知れない、と記しているが、これは或る意味良い方向に働いていて物語の中に奇妙な空気感が醸成されている。英語で読んでいる際にこの冗談の部分が中々読解するのに骨の折れる代物であったが、まあ、それ程長い小説ではないので何とか読みこなす事が出来た。また、この1891年時点には相当高齢であったイギリスの大政治家Mr. Gladstone*2も何故かゲスト出演させられている。このMr. Gladstoneは恐らく色々と人気のあった政治家というだけでなく、我々読書愛好家にも縁の有る人物であって、これは又その内紹介する機会もあると思う。

 これらに加えて、読んでいて最も時代を感じる処は、この時代の科学の急激進歩に対する民衆の反応を表しているかの様な記載の数々である。やたら「科学の恩恵」みたいなフレーズが登場するし、ダーウィンやファラデーの名前も登場する。この小説に描かれる19世紀末のイギリスに於いて科学という物がある種宗教に取って代わって前面に浮上して来た様がまざまざと伺える。勿論、作者の書き方は人々の科学に対する姿勢を風刺しているのだろうが、小説等にこの様にして顕れる時代の変化というモノは、いつ読んでもとても面白い物である。

 今回、“The Big Bow Mystery”はkindle版のpublic domainの物を読んだ。それ程長くない小説なので英語版で読むのもそれ程大変ではないと思う。邦訳版『ビッグ・ボウの殺人』は絶版状態の様だが、上述した通り、大垣書店でなら手に入るのかもしれない。

The Big Bow Mystery (English Edition)

The Big Bow Mystery (English Edition)

 

*1:大きな弓が関係するのかと思って読んでみたら、Bowは弓とは全然関係が無くてロンドンの地名であった。訳せば「ボウの大事件」と云った感じか。

*2:William Eward Gladstone;1809年生まれで、この小説発表時点で既に幾度か首相を経験しており、驚くべき事に1892年に再度首相に就任した。ホメロスの熱心な研究家でもあった様だ。