(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

“The ‘Canary’ Murder Case” S. S. Van Dine (『カナリヤ殺人事件』 S・S・ヴァン・ダイン)

 誰もがみんな嘘吐き野郎

 最近、江戸川乱歩の『悪人志願』を読んでいる。江戸川乱歩の随筆集というものは非常に面白くて、失礼ながら、氏のイマイチぱっとしない作よりも随分面白い。自作解説から様々な推理探偵小説界の雑感、日本の推理探偵小説同人の逸話、等、読み所が満載である。しかし、一つだけ非常に読んでいて困る処がある。それは何かというと、以前『幻影城』を読んでいた時にも経験したのであるが、乱歩先生は容赦なくネタバレを書き記すのである。ちょっとネタバレだとか仄めかすとかいう程度ではなく、しっかりと解説してしまう。これは中々困った話であって、その対象の作品が、既に読んでいるものであればまあ良いのだけれども、未読の作品であれば、読者としては非常な窮地に立たされる。親切な事に、『悪人志願』ではそれぞれの随筆やら作品解説らの初頭に「ネタバレ危険」の注意書きがある。それの御蔭で読者は難を逃れる事が可能になるのである。

 さて、これが今回私がヴァン・ダインの“The ‘Canary’ Murder Case”(『カナリヤ殺人事件』:1927年)を読んだ理由である。つまり、『悪人志願』を読んでいると、この『カナリヤ殺人事件』ネタバレ警報に出くわしたのだ。

 こんな不純な動機で読み出したのであるが、これが中々の名作だった。一見密室状態の部屋でブロードウェイの歌手が絞殺されるが、当然誰かがその密室に入りそして密室から出て行かなければならない訳である。勤勉な警察は事件の解決に向けて苦戦する訳であるが、そこに登場するのが、Philo Vanceという高等遊民兼素人探偵の変人である。

 探偵小説というものに於いては、どの作者もその主人公たる探偵の造形に非常な気を配るものだと思う。現代において一番有名な探偵と言えば勿論シャーロック・ホームズでそれにデュパンやポワロが続く感じだろうか。日本ではこういうやや変わり物で天才肌系の探偵が好まれる感があると思う。勿論天才肌の探偵にも色々と種類があって、デュパンなんかは完全に頭脳演繹型でやや安楽椅子探偵的な所もあるが、ホームズやポワロは実地調査も怠らない手足も動くタイプの探偵である。より現実的で堅実で科学的な探偵としてはソーンダイク博士がいるし、頭脳型の筈がまるで人を救えない金田一耕助なんかもいる。

 その先行する探偵像と比べてもヴァン・ダインが生み出したこのPhilo Vanceという奴は相当に人物造形が非常に良く出来ている。この人物は今の処、私の中ではソーンダイク博士の対極に居る存在である。と云うのもソーンダイク博士は真面目で、誠実で、非常に慎重で、科学的で、何よりも物証を重んじる人間であったが、この小説の探偵Philo Vanceは全く違う。しょっちゅう韜晦するし、中々心が読み辛いし、何と言っても不真面目な薫りがする。いつも科白の最後に“Don't y' know”、“What?”と付け足して妙に嫌な喋り方をするのだが、これが又癖になる嫌さでとても良いのである。 果てさて、この不真面目な薫りは何処かで嗅いだ記憶があるぞ、と思えば、これはあれだ、“The Mentalist”である。アメドラには探偵モノがしょっちゅう出てくるのだが、大体の処、やや異能者的な人々が、官憲を助ける形になる。その官憲を助ける人々にも違いがあって、まあ、科学的捜査だとか、確率統計を用いるだとか、骨を鑑定するとか、色々ある訳であるが、それらの中に私の非常に大好きな異能者がいて、それがその“The Mentalist”での探偵役であるPatrick Jane*1である。このPatrick Janeは心理的洞察を以って犯人を推理するのだが、いつもおどけてふざけている。まあ見た目が良いし人当たりも良いので女性受けは頗るよい。このPatrick Janeに本小説のPhilo Vanceは非常に似ているのである、いや、JaneがVanceに似ていると言った方が正しいか。“The Mentalist”を見ている時はメリケンは面白い人物造形するものだな、と思っていたが、今から思えばPhilo Vanceから着想を得たのであろう。

 Philo VanceのアプローチはJane同様、物証よりも心象である。ここがホームズやらポワロやらとそしてソーンダイク博士と決定的に違う所である。例えば以下の様な事を言う。

“But as I have stated before, when material facts and psychological facts conflict, the material facts are wrong.(略)”
「でも、前にも言ったように、物理的な事実と心理的な事実が矛盾する時は、物理的事実の方が間違ってるのさ。(略)」(拙訳)

 この様な具合であるからVanceは物証から簡単に演繹されるような物語を易々とは信じ込まない。であるからして、Vanceに信頼を寄せるMarkham検事は外面的な仮説が成立してもその捜査を安易に切り上げる事はなく、Vanceが納得するまで粘り強い捜査を続ける。そしてその内に、最初には一見整合性の有った物語が徐々に変容して行くのである。この小説の推理小説たる肝は登場人物達の証言であろう。推理小説に於いては、登場人物達が真実を語るとは限らないのは当然なのであるが、それにも程度という物があって、この小説の様に皆が皆べらべらと嘘を吐きまくると云うのは、これはこれで異質な感がある。Vanceが物証より心理を重視するが為に、彼らの誤魔化しは整合性があっても露見していくのであるが、誤魔化す前の物語にも、誤魔化した後の物語にも、それなりの整合性があるという処が不思議な並行世界を見ているようで面白い。

 又、心理捜査の見せ場として、物語の終盤に、Vanceは犯人を特定するために、心理テストとしてpoker(誰もが知っている、トランプを使ったゲーム)を行う。犯人はpoker(火掻き棒)を宝石箱をこじ開けようとするのに使っており、この事実もVanceが犯行現場の不自然さに気付いた理由の一つであって、pokerでpoker使いを捕まえると云う言葉の合致が妙に洒落が利いていて何となく心地が良い。この推理小説は随所にこの様な微妙な洒落が利いていて堪らない。

 『カナリヤ殺人事件』のトリックその物はそこまで良く出来たものではない。密室トリック自体は私の嫌いなタイプのモノだし、アリバイトリックも同様に私の嫌いなタイプのモノである*2。しかし、トリックよりも何よりも心理捜査というかなり際どく難しい所に敢然と挑戦していったヴァン・ダインの勇気が素晴らしい。Philo Vanceのやる気の無い様な、冗談ばかりの様な、それでいて観察力に秀で、心理洞察に優れる、このキャラクターは日本でもっと人気が出ても良さそうなキャラクターだと思う。私はこの小説を読んだだけでかなり惹き付けられてしまった。これからVanceものをどんどん読んでいく積りである。

 今回私はkindleのVan Dine全集物で読んだのだが、購入するには少なくとも下に紹介したものをお勧めする。と言うのも、私は最初別な全集物を購入したのだが、推理を楽しむ助けになる見取り図が含まれていなかった。下に紹介した全集にはちゃんと図が収録されている。他にも図入りの物はあるかも知れないが、review等を確認してから購入するのが無難だと思う。

 

*1:元々詐欺師でインチキ霊能力者をやっていたので心理洞察に非常に優れているという設定である。サーカス育ちの孤児でもあるが、同時に多くの教養も備えている。

*2:途中から悪い予感がしてきて、まさかあれを使ってるんじゃ無かろうな?と不安になって来たのだが、その悪い予感は的中してしまった。