(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

『幻影城』 江戸川乱歩

 『幻影城』は江戸川乱歩による探偵小説解説随筆集である。主には海外の推理探偵小説に関する雑感が記されている。終戦直後の当時はまだ洋書を手に入れるのは簡単ではなかったであろうし、当然、洋書なれば外国語で読まなければならない。訳本も存在したであろうが、『幻影城』によればそこまで広く訳されていたわけでもなさそうである。こういった状況の中で、乱歩氏による海外推理探偵小説状況紹介、雑感、解説等は次に何を読もうかと迷っていた推理探偵小説愛好家にとってはまたとない指針であったと想像される。

 単行本の『幻影城』という形を取ってはいるが中身は、各種随筆の寄せ集めであり、基本的には英米の推理探偵小説への雑感随筆に加えて怪談入門、そして城外散策としてあとから付け加えられた幻影城通信からなる。

 この随筆集において乱歩はまず推理探偵小説の定義を行っている。探偵小説とは、

主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする小説である。

とのことである。これは正に腑に落ちる定義であり、個人的にはこれを満たしていないものはあまり推理探偵小説とは呼べないのではないかと思う。また、小説の分類も色々な形で行っているのだが、途中で出てくる、1)純文学派*1、2)風俗小説派、3)文学的本格派、4)ゲーム派、という分類が現状個人的な実感に一番合致している気がする。乱歩は当然3)の文学的本格派であって「ポー以来の本来の探偵小説の興味を保持しながら、出来るだけ文学的にせよという説」と説明しているが、これが実際のところの推理探偵小説の理想であろう。近年の日本の面白い推理探偵小説はおよそすべて4)に属しているのだが、個人的には3)の復権に期待したい。

 また、日本の一般文壇と探偵小説界との交遊について述べた随筆「一般文壇と探偵小説」、「続・一般文壇と探偵小説」は当時の空気が伺えてなかなか面白い。日本で翻訳本格探偵小説ものが人気になって以降、純文学の作家と目される人々が存外、怪奇探偵趣味の小説を書いていたようである。佐藤春夫、谷崎潤一郎それに芥川龍之介はこれに関しては有名であるのだが、ほかにも葉山嘉樹やら久米正雄などもこのような方面に手を出していたとは知らなかった。もっとも乱歩が指摘しているように、佐藤・谷崎のごく少数の作品を除いては、最初に乱歩が掲げた定義に合致するほどの探偵小説ではなく、むしろ探偵風味を持たせた幻想小説といった感があるが、これが私の好きな日本の推理探偵小説の系譜なのかもしれない。純文学からの参入はあったものの本格的探偵小説は殆ど見られなかったと乱歩は書いているが、その中には当然例外があって、戦後にはなるが、坂口安吾の『不連続殺人事件』が純文学者による本格探偵小説の例として挙げられている。これは私もすでに読んでいるのだが、純文学者の坂口による純粋な知的挑戦という薫りがして良いし、本格推理小説として相当な傑作である。乱歩が稿を割いて坂口の仕掛けたトリックに関してなかなか面白い解説考察しているので、『幻影城』読むよりも先に『不連続殺人事件』を読んでおく事をお薦めする。

 「探偵小説純文学論を評す」から始まる探偵小説の文学性に対する一連の考察も面白い。木々高太郎が探偵小説は純粋に優れた文学であると言う論をたて、例えば甲賀三郎が述べていたような探偵小説は純粋に推理ゲームを楽しむものであるという説に反駁していたのであるが、戦後になって、木々と乱歩の論争に発展した。乱歩は以下の様に書いている。

人生と相かかわる謎を解こうとする小説は純文学、人生と相かかわらない作りものの謎を解くのが探偵小説ということになる。即ち遊戯文学だね。

遊戯文学と例える言葉の選び方が独特であるし、純文学に媚びない乱歩の余裕も感じる。実際探偵小説というものはゲーム性知的推理という側面が切り離せないし、一応の解答もある訳であるから、極端な文学性の追求は却って探偵小説の魅力を落とす事になりかねないというのはその通りであろう。

 「怪談入門」はなかなか興味深い話である。というのも、江戸川乱歩は推理探偵小説を書くことで有名であるが、彼自身が述べている通り、推理小説の分類でいえば非本格・変格派に分類される作家であり、初期には推理小説ではない幻想小説・怪奇小説のような類をよく書いていた。実際問題、乱歩の凄みはその怪奇がかった作品によく表れていて、谷崎潤一郎や佐藤春夫などの一部の作品と同様に幻想文学の括りにいれてもいいかもしれない。この怪談入門の項では特に荻原朔太郎の『猫町』が特別に取り上げられて解説されている。『猫町』はそれこそ読者を不思議の街角に誘う妖しい短編で、内田百閒にも通じる、はっきりとした落ちの無い不思議さ奇妙さをひたひたと感じる名作である。ちなみに猫の絡みで乱歩は陰獣について説明している。私は全然知らなかったのだが、陰獣とは猫のことであり乱歩の造語でも何でもないそうであり、傑作『陰獣』もつまるところ猫の事であったのである。乱歩の猫へのイメージはあまり良いものでは無かったのかもしれない。乱歩によると彼は怪談には特別な興味は抱いておらず、この入門随筆を書くに当たってかなりの読書をしたようであるが、これは私にとっては意外な話で、乱歩は怪談や幻想譚も好んで読んでおり、その幻想怪奇趣味ゆえに多くの怪奇探偵小説を創作していたのだと思っていた。ちなみに入門と銘打っているだけに最初に怪談への雑感を述べたのち、だらだらと分類等が書かれているのだが、はっきり言って読んでいて退屈になる部分もある。本人も、途中から飽きていたと幻影城通信に記している。

 探偵小説にまつわる乱歩の様々な思いが綴られたこの随筆集はもろん「推理探偵小説」ではないのであるが、推理小説愛好家であれば、一読の価値はあると思う。ただし、乱歩は途中容赦なくネタバレをしているので、過去の名作を読む前に本書を読むのは多少危険かもしれない。なお随筆集に『幻影城』と名付けることを提案したのは当時の「宝石」編集長の武田武彦であったらしいが、これは頗る素晴らしいアイデアであったと思う。江戸川乱歩のその幻影幻想的な装いにこそ、私は惹きつけられる。乱歩はまさに幻影城の城主なのである。 

幻影城?江戸川乱歩全集第26巻? (光文社文庫)

幻影城?江戸川乱歩全集第26巻? (光文社文庫)

 

 

*1:ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』や夏目漱石の『彼岸過迄』をも推理小説の一群とみなす人々もいるようだが、乱歩と同様にそのような考え方には同意しかねる。これらは推理小説としての価値は低いし、そもそも、人生の機微を扱う純文学をわざわざ推理小説の枠に入れて、推理小説の価値を高めようとしているような下心を感じる。そんな事をしなくても推理探偵小説はそれ自体で十分知的に面白いのである。