(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

『黒いトランク』 鮎川哲也 1

  鮎川哲也という作家に関しては、実際のところこの年になるまで全く知らなかった。もし、たまたま推理探偵小説を網羅的に読もうと思い立たず、東西ミステリーベスト100などというリストを目にすることがなければ、今でもその名を知ることはなかっただろう。

 とりあえず、本書『黒いトランク』を読み始めた。

 推理探偵小説の良いところの一つには、少なくとも何らかのリストでお薦めされているような場合、極端に詰まらなくて辛い思いをするということが無いという点がある*1。結論から言えば、本書はそのような特別な例外にあてはまることのない、普通に楽しめる推理小説であった。

 構成としては松本清張の『点と線』に似ているな、などと思いながら読んでいたのだが、調べてみると、『点と線』の方が後で書かれていた。この『黒いトランク』は1956年、『点と線』は1957年である。どちらも刑事が主人公であり、捜査は足を使った地道な聞き込みであり、警察組織は信頼のおける捜査組織であり、探偵のような曖昧な天才は登場しない。また地方警察の一捜査担当が丁寧な初動捜査を行っているという点でも似ている。明智小五郎も金田一耕助も出てこない、そして、警察が信頼のおける組織に変わっている、推理探偵小説においてこのような変化はいつくらいから生じ始めたのだろうか? 横溝正史の金田一は1950年前後(小説発表年)に活躍していたので時期的には少し被っているわけだが、そこから、どのように鮎川・松本式小説が生まれてきたのかには興味が湧く。同時代の周辺の小説を読み漁っていくうちにその辺りの消息も分かるに違いないが、今は分からない。もちろん、松本清張の場合は推理探偵小説だけが本職というわけでもないので違う方面からのアプローチが結実したのかもしれない。

 一般に推理小説には文学性などを求めてはいないが、この小説ではところどころ旅情や詩情に訴える部分がある。読んでいる間、内田百閒の『安房列車』も頭に浮かんだ、百閒先生が旅先で旅館に泊まって飲み食いする描写が旅情をそそるのと同じように、この小説での旅先での食事や旅館の描写が旅に出たい気持ちを刺激する。対馬での刺身なんぞは旨そうで仕方がない。途中駅弁の話まで出てくるのである。食いもののみならず、北原白秋や火野葦平・石川達三も絡めてくるのは作者の時代にはまだそのような教養が一般に共有されていたからなのだろうか? ここで描写されている風景を読むと、一度はその地に訪れたくなるし、北原白秋や石川達三も読まねばという気持ちになる。私は創元推理のkindle版を読んだのだが、鉄道路線に関する注釈が丁寧なのも好印象であった。

 推理小説としての肝はおおまかに3つのトリックからなるのだが、時刻表トリックと入れ替えトリックは良いとして、肝心の2つのトランクの部分が凝りすぎいて必然性に欠けている感が強い。容疑者のリストに載る危険を冒してまで件のトランクを使う必要性がとてもあるとは思えない。足のつかないトランクではいけなかったのか?どこか目のつかないところに廃棄しなかった必然性も薄い。主人公への挑戦という部分がこの辺りを正当化するのかもしれないが、弱く感じる。ただ、この手の推理小説トリックは、段々とトリックとしての必然性から読者が謎解きを楽しむという娯楽へと変化してきているので、そういう意味では娯楽として受け入れるべきなのかもしれない。江戸川乱歩や横溝正史のやり方の得なところはお話の現実味が薄い分、トリックの必然性が低くとも受け入れられやすいところにもある。

 トリックのためのトリックに陥りがちな現代推理小説の悪例に落ち込みそうでありながらギリギリの所で踏みとどまった佳作と感じた。

 だらだら書いて長くなったのだが、次回もう少しだけだらだらと書き足してみようと思う。

黒いトランク 鬼貫警部シリーズ (創元推理文庫)

黒いトランク 鬼貫警部シリーズ (創元推理文庫)

 

*1:まぁ、実際のところそれでも外れというものは存在して、今のところ自分の場合は山口雅也の『生ける屍の死』だけは3分の1ほど読んだところで詰まらなさに耐えきれず投げ出してしまった。まぁこれもいずれ読み通してみようと思うのだが。