(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

『ロートレック荘事件』 筒井康隆

 筒井康隆が放った本格推理小説

 もしこれからこの『ロートレック荘事件』読まれる方があれば、こう助言したい、「第15章までを読み終えても確信をもって犯人を推理出来なければ、もう一度最初から丁寧に読み直すべきである。この推理探偵小説は十分にヒントを呈示している。熟考したのちに次の第16章へと読み進んで欲しい」

 

  江戸川乱歩が『幻影城』おいて推理探偵小説を分類する際に、a)ゲーム探偵小説、b)非ゲーム探偵小説、c)倒叙探偵小説、という分類も行っている。c)はテレビの刑事コロンボや古畑任三郎に代表される、先に観客には犯人が分かっていて、その一見完全犯罪のように見える犯行が、意外な綻びから露見していく経過を楽しむものである。b)は乱歩によれば、探偵小説の体をなしてはいるが、読者が実際の推理を行うというのには困難なタイプの小説のことである。具体的には重要証拠が終盤になって出てきたり、天才探偵が奇想天外な、それでも論理的な範囲の、直感でもって事件を解決するタイプの小説を指している。そしてa)である。a)はいわゆる本格物と呼ばれる、読者が推理を楽しめるもしくは推理を楽しめるかのように錯覚できる種類の小説を指している。例えば、クイーン(ロス)の『Xの悲劇』であったり、乱歩の『三角館の恐怖』や島田荘司の『占星術殺人事件』のように公然と読者に挑戦状を突きつける小説などはゲーム探偵小説の極みであるといえよう。

 さて、ゲームを楽しむにあたって、幾つかの制限があった方がいいのは当然であって、古くはノックスの10戒やヴァン・ダインの20則などがその規範的制限を提示してる。勿論、これを遵守しなくても面白い探偵小説は面白いし、そしてゲームも成り立ちうるのであって、例えば、20則にある”作者は読者にトリックを使ってはならない”というものに関しては、有名な例外としてクリスティーの『アクロイド殺し』がある。乱歩は坂口安吾の『不連続殺人事件』も広い意味での読者へのトリックを使用していると指摘しており、そして、『アクロイド殺し』にしても『不連続殺人事件』にしても全く面白さが損なわれていないと述べている。

 さて、このような読者へのトリックの中に日本で一時流行になった叙述トリックと呼ばれるものがある。端的に言えば、読者の誤読可能性や、文章の不完全さなどを積極的に利用したトリックである。現在の日本の推理探偵小説愛好家の殆どはこれについて熟知しているだろうからくだくだとは書かないが、自分の知る限り、綾辻行人の『十角館の殺人』(1987年)で一躍有名になった。それ以前に所謂叙述トリック的な推理小説が存在したかどうかは知らない。残念な事にこのトリックは推理探偵の興味とは異なる方向へ主眼が向けられてしまう事が多く、上記の綾辻氏の作品群を除いては、巧く使いこなせている小説はあまり存在しないのが実情である*1

 その様な状況の中、専業の推理小説作家ではない筒井康隆が1990年に世に送り出した本作は、まさに、本職の小説家ならではの言葉の操り方を以って我々読者に心地良い錯誤を味わせてくれる。錯誤の罠が良く出来ているのみならず、序盤から十分にヒントが散りばめられており、推理小説というゲームを楽しむ上で十分にフェアなのである。ちなみに私は気を付けていたつもりではあったが、錯誤の罠にまんまと嵌められてしまった。内容について詳しく書くとどんどんネタバレになってしまうので、ここでは書かない。ネタバレが問題になる推理探偵小説とそうでないものが存在すると思うのだが、この小説に関しては叙述トリックが使われているという事以外は知らない状態で読んだ方が楽しめるのは間違いない。

 再度、書いておこう。もしこれからこの『ロートレック荘事件』読まれる方があれば、こう助言したい、「第15章までを読み終えても確信をもって犯人を推理出来なければ、もう一度最初から丁寧に読み直すべきである。この推理探偵小説は十分にヒントを呈示している。熟考したのちに次の第16章へと読み進んで欲しい」

 筒井康隆を読んだのは今作が初めてであるが、まだ他にも推理探偵ものとして、『富豪刑事』、『フェミニズム殺人事件』があるし、特に『富豪刑事』関しては東西ミステリーベスト100の新版の方に選出されているので、俄然興味が湧いてきた。なお、この『ロートレック荘事件』は現在のところkindle版は出ていない、私は新潮社から出ている文庫本を手に入れて読んだ。

ロートレック荘事件 (新潮文庫)

ロートレック荘事件 (新潮文庫)

 

*1:劣悪な例として、『殺戮にいたる病』や『葉桜の季節に君を想うということ』が存在する。推理探偵小説を読みたいのであれば、読むだけ時間の無駄である。単に叙述トリックを味わいたいだけであれば、まぁ、ありかもしれない。