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(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

『日本ミステリー小説史 黒岩涙香から松本清張へ』 堀啓子

 お手軽な日本推理小説小史

 どんなものでも、その歴史を調べるのは面白い。そして当然小説群にもその歴史的経緯が存在する。例えば、ポーの『モルグ街の殺人』、この小説が現代の推理小説界にポンと跳び出てきたとして、必読の書と看做されるようになるかという点については疑問符が付く様に思うのだが、世界最初の探偵小説と思うと有難味が一気に増してくる。また江戸川乱歩の探偵小説群に於いては西洋の探偵小説から拝借したトリックが散見されるが、これまた江戸川乱歩を先に読んでから、西洋の古い探偵小説を読むと、乱歩の方が巧く使っているなと魅力がやや減じて感ずる部分もあれば、ああこれが元の種だったのかとトリックの輝きが2割増しに感じる事もある。小説群は歴史的関連性をもって順行性にその影響を及ぼしているので、歴史的経緯を知る事はしばしば、古い小説の魅力を増幅させる事に繋がるし*1、また同時に、先行する小説からの影響を後の小説に確認する事も、しばしば、その小説の味わいを深める事に繋がる。

 と云う様な訳で、ふと日本の推理探偵小説のざっとした歴史を知りたいと思い、どんな書籍が存在するかを調べたところ、中島河太郎著『日本推理小説史1-3巻』、伊藤秀雄著『明治の探偵小説』、『大正の探偵小説』、『昭和の探偵小説』、郷原宏著『物語日本推理小説史』等が見つかったのだが、残念ながらどれもkindle版は存在しなかった。そんなもの紙媒体で購入すれは良いではないかと言われるかもしれないが、私は書籍を一度購入すると捨てられない売れない性質なので、現在の個人的な事情からなるべく電子書籍で購入したいのである。そこで、Amazonで適当に検索を掛けてみた処、この『日本ミステリー小説史』に行き当たった。中公新書なのでまあ当たり外れはあるだろうが、大して高価でもないし、Amazonの批評はやや厳しめだが、そこはこの手の推理探偵小説を好む人々は手厳しいので割り引いて考えて、えいやと購入して一読してみたのである。

 タイトルには「黒岩涙香から松本清張へ」と云う副題が付けられているが、本書が詳しく述べている推理小説史は主に江戸川乱歩達の活躍した大正期の前までだと言って良いだろう。そもそも、本書の記述が江戸川乱歩に辿り着いた時点で、既に内容の7割に達しているのである。勿論、推理小説通史の様な物を最初から近代まで通底して書き上げる事が可能であれば、それに越した事は無いのであるが、本書は新書であるし、ページ上限の都合上、何処かに重点を置かざる得なかったのだろう。そして本書において重点が置かれているのは主に推理探偵小説勃興の少し前から、明治期に掛けてだと思う。

 最初に焦点を当てているのは、江戸時代に読まれていた『大岡政談』そして井原西鶴作とされる『本朝桜陰比事』の裁判説話ものである。この様な裁判説話物が何故推理探偵小説の先祖になるのか、と、不思議に思ったのだが、まあ言われてみれば確かに、裁判というものは罪咎の詳細を改める訳であって、ある種の探偵的行為と言えなくもない。さらに『鎌倉比事』が紹介されている。ここでは青砥藤綱という人物の活躍が描かれており、これもまた確かに大岡越前と並んである種探偵的傑物というものの先駆けになるのかもしれない。これらの江戸時代に編まれた「比事=裁判物」は中国の古典や日本の古典などからその元の骨子を借用している事も多い様で、それこそ、殺人の謎などは古来よりあるものなのだから遡りだせばキリがないのだろう。

 どうも江戸川乱歩もこの手の裁判物等を探偵小説の類縁と見做していた様で『悪人志願』中にこれらに関して触れている。

東洋で云えば、日本の大岡政談風のも、元祖が西鶴の桜陰比事で、その又元祖が支那の棠陰比事、詐欺の話では、支那の杜騙新書、騙術奇談、日本では昼夜用心記、世間用心記、随分古くから探偵小説らしいものがあった。
-探偵趣味(『悪人志願』 江戸川乱歩)

 黒岩涙香に関する記述以降は、須藤南翠、そして著者の専門分野である硯友社と尾崎紅葉達の探偵小説への関わりが記されている。恐らく、この新書で一番の読み処はこの硯友社関係が行った春陽堂の『探偵小説』シリーズに関わる仕事と、泉鏡花の初期の探偵小説もどき、尾崎紅葉の推理小説風味の一連の仕事、そして同じく春陽堂の『鉄道小説』に関する部分だろう。この辺りを読むと当時文壇で名を馳せていた硯友社の面々が探偵小説にも軽蔑を持ちつつも興味を持って関わっていた事が分かる。この辺りが、著者の愛を最も感じる部分であって、下手に推理探偵小説通史に纏めるよりも、この部分に全てを注いだ方が、書籍としてはもっと面白い物になったかもしれない。

 江戸川乱歩以降の記載はまあ誰が書いても大して変わらないだろう。Amazonの評を見ると誰が抜けているとか、誰への言及がないとか、翻訳物への言及が足りないとか指摘されていて、それは確かにそうなのだが、全てを一冊の新書に求めるのは無理難題である。

 ざっと読んだ感じでは淡白な部分が多いとは感じたが、推理小説小史をさっと学ぶのには手頃な書籍だと感じた。ただ余りに淡白なので、この本で得られる知識位ならネットで適当に検索するだけでも事足りるかもしれない。ちなみにこの書籍は科研費基盤Cによる研究の成果物の一つのようだ。それなりの研究者であれば、科研費を獲得していて何の不思議も無いし、それで以って書籍の刊行に至るとは立派な話である。しかしそれにしても公費で文献を研究して新書刊行とは...... 羨ましい話である。

日本ミステリー小説史 黒岩涙香から松本清張へ (中公新書)

日本ミステリー小説史 黒岩涙香から松本清張へ (中公新書)

 

*1:オリジナルの方を有難がってしまうと云う私個人の性質にも依るのかもしれない。勿論、人に依っては、歴史的経緯なんぞに注意を払う意味はなく、独立した小説として味わうべきという立場もあるだろうけど。