(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

『イソップ寓話集』 イソップ 中務哲郎 訳

 最古の寓話集が示す節理

 最近、ギリシア物にハマっている、と云うか、古い古いお話に嵌まっていて、ギリシア物と古事記関連の書物を読むのに多くの時間を費やしている。古い書物の良い処は、やはり、それ以上遡るのが難しい物語の源泉の様な何かを味わえる処だと思っている。

 『イソップ寓話集』の名前は誰でも一度は耳した事はあるだろうし、イソップ物語という形で大抵の人はこの寓話集に出て来るお話を10や20は読んだ事がある筈だ。私も漠然とイソップ物語としての寓話のイメージは有ったのだけれども、どういう訳か、中世くらいのヨーロッパで編まれた寓話集だとばかり思い込んでいた*1。が、これは完全に私の勘違いだったのである。何故勘違いだと気付いたかと云うと、上述した様に最近は古い物語を読んで回りたいなと考えていて、そこでgoogle先生にお伺いを立ててみると、都合良く有用なwebsite世界文学年表 / Pulp Literatureを見付けたのである。そしてこのwebsiteによって『イソップ寓話集』が紀元前に成立した相当に古い寓話集である事に気付き、これは読んでみなければならないな、と言う訳で早速読んでみた。

 読んでいると、昔からどかで読んだ事見た事がある様な寓話を幾つも発見した。この『イソップ寓話集』に収録されている有名な寓話を例えば挙げると、「嘘吐きの羊飼い*2」、「酸っぱい葡萄」、「金の斧と銀の斧」、「太陽と北風」、「兎と亀」、「蟻とキリギリス*3」等々である。

 これらの寓話の中には我々が住む日本や昔から親しんできた中国の故事に共通のお話を見つけられるモノもある。二つほど有名な故事との合致を見付けたのだが、一つは毛利元就の三本の矢の教訓で、もう一つは芥川龍之介が所々で引き合いに出していた寿陵余子の故事すなわち邯鄲の歩みを覚える前に寿陵の歩みを忘れ蛇行匍匐して故郷に帰った男の故事である。これらはそれぞれ「兄弟喧嘩する農夫の息子」、「鳶と白鳥」という寓話として収録されており、その内容は上述の故事と非常に似ている。人々の交流があった以上、当然、寓話も伝播して行くであろう事は想像に難くないが、内容を維持したまま伝播して行くという事は人々同士でその教訓なり意味合いなどの意義を共有で来たという事であって、隔たった地で異なる文化であっても人々が考える事や納得する事には共通項が存在する事を改めて確認することが出来る。

 またイソップ寓話にはギリシア神話の異伝という側面もある。例えば人の寿命に関して、人の寿命は元々は短かかったが、馬や牛や犬から寿命を奪ったが為に長寿になった代わりに老年になると善良さが失われるというものがある。人間の誕生に関する異伝も紹介されている。現在の人間の一部はプロメテウスが獣から作り直した者だという。そのせいで一部の人間の心は獣さながらと言う訳らしい。他にも幾つかの小噺が収録されており*4ギリシア神話の世界を広げてくれる。また蟻は元々人間であって、ゼウスが貪欲な農夫に腹を立てて蟻に変えたという寓話も収録されており、この寓話は英雄アキレウスの率いたミュルミドン人が元々は蟻であったと云う伝承と比較すると興味深い。ギリシア人は蟻と人間に共通点を見出していたのかもしれない。同様に蝉が元々人間であったという話も出て来る。これもギリシア神話のティトノスが不死の末に老いて老いて小さくなり遂には蝉になったという伝説を思い起こさせる。寓話の世界と神話の世界は繋がっているのだろう。

 イソップの寓話にはそれぞれ教訓めいた文章が最後に記されている。例えば、「嘘を付いてはいけない」とか「恩知らずは良くない」だとか「悪人とは分かり合えない」といった所謂処世術めいた言葉である。こういう道徳の標語の様な教訓が並んでいる処を見ると、このイソップ寓話というものはある種の教化に使える様な寓話集でもあったのではないかと思える。実際、訳者の中務氏が著した『イソップ寓話の世界』に依れば、ルターやらも教育目的で用いていたらしい。また、この寓話そして教訓の成立に関して、下層民の道徳的・経済的理想を表しているという説もある様だ*5。この説を、イソップ寓話の成立過程としてある程度は信頼し得ると考えてみると、以下の様な、「欲を出すと現在持っている物まで失う」、「弱い小さい事にも良い事がある」、「強い者と張り合ってはいけない」だとか更には「それぞれに別々な役割があるのだから、一見労働していない者(ここでは支配者の事)が重要である事もある」といった教訓は、下層民が世の中で暮らしていく為のある種の賢明な選択肢を提示するものだったと考えられる。

 この様な教訓は奴隷や下級階層の状況、つまり弱い事・力が無いという状況を肯定的に捉え、弱い事は悪い事ではないと自己肯定する事に繋がるだろう。下層階級に暮らせば日々の生活の中で不条理な事態に遭遇する事はままあるだろうが、その様な状況の中にも人生の幸せを見付け現状を肯定するという思考方法は確かに日々を明るいものに変え得る力があると思う。しかし、これらの思想は下層階級の人々の現状肯定と同時に、当時に存在した社会構造による圧迫を維持し肯定する作用を持っているのも確かである。これは、ある種の現実逃避でもあるし、ニーチェが『ツァラトゥストラ』で批判した姿勢、弱者の恨みと看做せるのではないだろうか。そして詰まる処、為政者に取っては便利な道具足り得たのだろう。勿論、状況と云うものは瞬時に変わる物ではないので、最初は現状の中の幸福を見つける事も必要かもしれない*6。そして、その最初の段階は既に紀元前には達成されていたのであるから、その後、封建制度から解放されるまで、人々の思想はおよそ二千年の長きに渡って停滞していたのだとも言える*7。この背景には生産力そして科学力の発展がある閾値に達する迄に相当な時間が必要だったという事が理由として存在するのだろうけれど。

 『イソップ寓話集』は我々の良く知る寓話の源を知るという意味でも面白いし、多数の伝承が存在するギリシア神話の異伝の一つとしても面白い。更に、当時の民草の思想・処世観を知るという意味で相当興味深いものが得られると思う。今回、本書は岩波から出ているkindle版を読んだ。いつもの如く、岩波版にはしっかりとした解説が収録されているのが非常に嬉しい。しかしこの書籍に関しては注の処理がやや不満があって、恐らく紙媒体のでも同じなのだろうけれども、それぞれの寓話の直後に注が配置されており、ある任意の注を参照しようと思った時にその検索性は余り良くない。まあこの辺りは仕方ないか。本書の訳者である中務哲郎氏は、上の方でも少し触れたが、筑摩から『イソップ寓話の世界』というイソップ寓話集の解説書も出していて、こちらもイソップ寓話の成り立ちを知る上で非常に参考になる。岩波文庫の解説がそのまま拡大展開された書籍だと考えて良いので、もし解説が気に入れば購入して読む価値があると思う。

イソップ寓話集 (岩波文庫)

イソップ寓話集 (岩波文庫)

 

 因みに上の方ででリンクを示したwebsite世界文学年表 / Pulp Literature、あれ?どこかで見た事があるぞと思ったら、私が愛読している下記のblogを書いている方と同じ方が運営しているサイトであった。

pulp-literature.hatenablog.com

 この「海外文学読書録」はいつも海外の比較的近代の小説を紹介しておられて、紹介されている書籍群を是非読んでみたいという気持ちにさせてくれるblogである。それにしても、なんともまあwebの世界は繋がり合っているものである。

 

 

*1:言い訳がましいが、イソップという名前自体も私が誤解していた理由の一つである。イソップというのはどう見てもギリシア風の名前では無い、と思ったら、イソップはギリシア風に書けばアイソポスという事になるらしい。成程、これならギリシア人だ。

*2:所謂オオカミ少年のお話である。

*3:実際にイソップ寓話に収録されているお話ではキリギリスでは無くて蝉であるけれども、ほぼ同一のお話とみて良いだろう。

*4:例えば、ゼウスからの様々な贈物が入った甕の蓋を開けてしまう男の話はパンドラのお話の異伝と言えるだろう。

*5:同書によると、これはカール・モイリやクルシウスの説だが、イソップ寓話研究家のベン・エドウィン・ペリーはこの説には否定的である様だ。

*6:そもそも痩せ我慢では無く、主観的に幸福であるならば、傍から見てどういう暮らしでも構わないとも言えるかもしれない。この辺りの考え方は難しい。

*7:勿論、現在でも奴隷の鎖自慢は絶えないが、それでも状況は劇的に改善しつつあると思える。