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(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

『魔都』 久生十蘭

覚書 推理小説

 魔都東京に妖しい奴等が跋扈する 

 久生十蘭は綺麗で幻想的な小さな物語を、煌びやかな言葉を散りばめ紡ぎだす屈指の短編小説家という印象が私にはあったのだが、このような『魔都』という長編の小説、しかも探偵小説に分類されるような長編を書いていた事は知らなかった。何故、この小説の存在を知るに至ったかというと、結局のところのこの覚書を始めた最初の理由、つまり東西ミステリーベスト100に掲載されていたというのが理由である。『魔都』は旧版のベスト100には入っておらず、新版の方に入っており、旧版の方では久生十蘭の小説の内、顎十郎捕物帖シリーズが取り上げられている。これも私の知識不足を只々露呈するだけなのだが、久生十蘭はこのような探偵シリーズ物も書いていたのかとその幅の広さに感心した次第である。

 この『魔都』であるが、昭和12-13年(1937-38年)に「新青年」に連載された長編推理探偵?小説であり、昭和9年の大晦日から昭和10年の正月2日迄の間に東京で起きた怪事件を描いている。そう、『魔都』とは東京の事なのである。昭和10年頃というと、煌びやかな帝都東京は日本いや亜細亜に君臨する巨大都市となっていたが、同時に日本の国際連盟脱退等、キナ臭い香りが漂い始めていた時代でもある。それが栄華の妖しい魅力を更に掻き立てていたのかもしれない。

 さてこの小説、一応、東西ミステリーベスト100に入っているのであるから推理探偵モノという事になる。当然殺人事件が起きるのだが(当然と言うのも変かもしれないが、ここでは当然と言っておく)、単なる殺人事件のみならず、安南王そして安南王家秘宝のダイヤの行方をも追い求める事になるのである。まずここからしてふるっているし、話が広がり過ぎである。安南と言えば北ベトナムの事であり、当時の仏印の一部である訳で、そこの王様を親日国王その和名を宗方竜太郎として勝手に小説に引きずり込んでしまうのだから豪快である。そして王家秘宝のダイヤその名もラジャー(帝王)!!の紛失。こんな無理矢理の大風呂敷の設定が成り立ってしまうのであるから、娯楽小説も時に凶悪な魅力を放つのだろう。

 ざっと荒筋を紹介すると、夕陽新聞記者である古市加十という男が、偶然か仕組まれたのか、安南国王と飲み歩く事となり、国王愛人の松谷鶴子の住まう高級アパート有明荘に赴く。その部屋で鶴子が何者かに窓から投げ落とされ殺されるのであるが、王様と国宝ダイヤは蒸発してしまい、加十は国王と間違えられ更には偽物役を押し付けられてしまうのである。

 この殺人事件、国王、ダイヤを巡っては、警察関係、特にその頭脳明晰を謳われた大鴉真名古明警視が解決に向けて奔走するのだが、その裏で、安南国王の取り巻きにも見える金持ち連中達が何やら暗躍し、そこに金の匂いを嗅ぎ付けたこれまた一癖ある夕陽新聞社長とその一味もお零れを狙って参戦する。さらに何やら曰く有り気な美人の縫い子もその美貌を以ってして物語を掻き回すのである。

 入り組んだ人間模様の混乱迷走に加えて、東京地下水路と云う巨大迷路の探索も有り、ルーブ・ベースの賭場お忍びも有り、更にはには軽機関銃にトミー・ガン迄をも持ち出しての日比谷公園近辺での市街戦である。何でも手を出す雑多な久生十蘭の娯楽趣味がごった煮になってぶち込まれている感がある。

 物語が進むにつれて、多数の人物が引っ掻き回す事件が輻輳しつつ収束していく様は、良く言えば、まあ良く言い過ぎだろうけど、ガイ・リッチーの映画"Rock, Stock, Two Smoking Barrels"の様な感がある。現代の小説で言えば、伊坂幸太郎の一部の小説にも少し似ているかもしれない。勿論、伊坂幸太郎の小説のプロットは断然良く練られているし構成もしっかりとした物であるので、それを期待してはいけないのだが、(真面目に読み過ぎなければ)久生十蘭の、筆の流れに任せたかの様な、拡大集散からの収斂も(その描写の華々しさに負う処が大きいが)相当に楽しめる。思うに、これは連載長編であって、作者も所々でエクスキューズを入れているのだが、書いている内に何だか新たな想念がその脳髄の内に浮かび上がり、その欲望を制御せずに筋を散々捻ったのではないか?幾ら何でも大鴉和製ジャヴェル氏の無惨な有様は計算ずくとは思えない。なお真面目な推理探偵小説読者の方のために書いておくが、この小説内には矛盾点が散見されるし、それに加えて解決されない疑問点も存在する。寛恕の心が大切である。 

大都会こそは阿修羅地獄絵の図柄そのままに、阿鼻叫喚の苦悩図を描き出す。この甍の一つ一つの下にどのような悲劇が起き、どのような罪悪が秘められるか、ほとんどそれは測り難いのである。この大都会で日夜間断なく起るさまざまな犯罪のうち、社会の耳目に触れるものはその百千分の一にも過ぎず、他の凡百の悪計と惨劇はわれわれの知らぬうちに始まり、われわれの知らぬうちに終る。

 上の引用の如く、魔都東京には人知れぬ怪異が蠢いている。謎が解き明かされずに放擲されているかの様に見えるのは、ここに描き切り得ぬ怪事件が幾重にも折り重なっていたからなのかも知れない。兎にも角にも、この小説の味わいは緻密なプロットに求めるところではないし、奇抜なトリックでもないし、勿論お話の整合性などは忘れてしまった方が良い。久生十蘭の散りばめる豪華絢爛荘厳華麗な言葉の数々、妖しく自由奔放な人物達の外連味溢れる科白や軽挙妄動に惑わされ、そしてそれらに依る宿酔に悩まされる位が丁度良いのである。

 魔都東京とそこに跳梁する胡乱な人々の狂宴を描いた怪作娯楽小説であるが、この小説が久生十蘭の最良のものだとは私は思わない。もし久生十蘭に興味を持たれた方が居られれば、この小説も勿論良いのだけれども岩波から出ている短編集なぞも試しに読んでみては如何だろうか?

魔都

魔都