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(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

『小説のストラテジー』 佐藤亜紀

 小説読み方談義1

 文芸作品を読む事それ自体は当然上質な娯楽であるが、只読むだけではなく、その内部構造を解き明かそうと努力する事もまた別種の娯楽である。私の場合は、今までは只々文章を読み、その空気を味わうだけで満足しており、そしてその内に内容をすっかり忘れてしまうというのが、繰り返される行動様式であったのだが、ふと思い立って、読んだ書物に関して記録を残しておこうと思い、こうやって覚書blogを始めた訳である。で、一旦覚書を書き始めると、如何に自分が普段何も考えずに文章を読んでいたのかが、特に文章化していく過程で良く分かってくる。これではどうにも小説の美味しい処を食べ残しているのではないか? 魚の頬の裏の旨い肉を取り逃しているのと同じなのではないか? もしそうであったら非常に勿体無い。そこで推理探偵小説において探偵が事件を精査するかのように、もう少し深く考えてみたいと思い始めている。

 勿論、思い立ってすぐ実現出来るのであれば、何の苦労もない訳であるが、私はへっぽこワトソンであるし、読みの経験値も少く、足元が覚束ない。そこで、何か書物を読み込むための方法論を学べないものかと書籍を探していた処、偶然下記のincubator氏のblogで『小説のストラテジー』が紹介されているのを見付けたのである。

incubator.hatenablog.com

 余りポジティブな評では無かったのだけれども、こういう書籍は勉強的な側面もあるからまあ良いかと思い、取り敢えず読んでみたのだが、案の定というか何というか、正直な処incubator氏と同様のモノを感じた事は否定できない。佐藤亜紀という著者に関してはこの書籍で初めて知ったのだが、文中、著者に対してネガティブな印象を抱いてしまう表現が多かった。もう少し体裁を考えても良いのではないか思いながら、少し調べた処、どうやらこの遣り方は彼女の特徴の一つであるらしい。他との差を出すためかもしれないが、作家も難儀な職業のようだ。 とは言え、面白い部分も無い訳では無かったので覚書。

 著者は小説の読みの基礎として以下の様に述べている。

フィクションを読む、とは、こうした記述の運動を把握し、固有の色彩とマチエールを味わい、複数の動きがあるなら相互の関係を見出し、あるロジックを持つ総体に組み上げ、評価することだ、

 これはどうやらテクスト至上主義の系譜に属する思想のようだ。しかし、この基礎となる思想と本書で提示されている実際の読み例の間には、控え目に言っても相当な飛躍がある。

 なぜこのような飛躍が生まれるのかについて、幾つかの理由が考えられる。

 まず第一の理由として、そもそもの小説評論と言う物それ自体の性質が挙げられる。例えば美しい景色に心が動いた体験を説得力を持って他人に伝えるためには、ある種の観察眼表現力が必要な訳であり、これを小説評論に当て嵌めてみれば、小説評論はある種の二次創作という事になる。風景景色を只単に写真撮影した物とは異なり*1、読み手の内面の乱反射や心理的消化その美的嗜好などが反映された成果物になってくるのである。そしてそういう意味において、画一的な正解などある筈も無く、ある種の方法論を提示したからと言ってそこから導かれる結論が、数学の証明の様な確定的なものではなく、こちらからは窺えない様々な変換を経たものになる訳であり、それが飛躍に見えてくるのである。

 第二に語り手の信頼性と言う要素も関わってくる。本書の中で説明されていることでもあるが、話者という立場は非常に不確定的な要素である。例えば、文中で紹介されている、ポリフォニーの説明や信頼できない語り手の話など*2はその話者に対する読みの幅の広さを構造的に示している。つまり、本書は学術研究書でない著作物として表れている以上、ある種の文学性も孕んだ書物であって、途中に解説される回想録・告白・自伝の区分で言えば、告白に当たる部分が相当にあるのではないかと私は睨んでいる。要は文芸作品への取り組み方に関する思想の吐露である。そうなってくると、書かれている内容が全て真である必然性はやや薄れてくるし、著者が提示した方法論自体を本人は実際には使っていない可能性も十分にある訳である。実際、第一の理由で述べた通り、画一的な答えの無い問題に対する取り組み方を論理的に説明し方法立てるという行為自体は相当に難易度の高いものであるから、本書の著者ですら成功しているかどうかは分からない。そして又、自らの心理的振る舞い自体を精密に解剖する事も誰にでも実行可能な物事という訳ではない。であるから、著者自身が認識していたかどうかは別として自らの真の方法論を記述していない可能性は多分に存在する。

 他にも幾つかの理由は考え得ると思うが、面白いのは本書で紹介されている、小説の解釈の仕方を応用すると、本書自体もそれなりには解析できるという点かもしれない。

 本書は内部的矛盾を幾らかは抱えているが、小説の読み方の技巧を学ぶという私の当初の目的の幾分かは満足させる内容であったし、書物に対する取っ組み合いの仕方に対する心構えとしては興味深かった。私が本書から得た当面の結論は、”多数の書籍を読み込み多数の戦術を身に纏って小説に挑んだ方が、やはり小説の美味しい処を味わ尽くすことが出来そうだ”という事になる。著者が最初に強調していた事とは少し異なる結論なのではあるが。

 本書はkindle版で読んだ。万人に推奨出来る内容だとは思わないので、紹介リンクは貼らない。

 

*1:当然、写真においても撮影者の個性が意識的無意識的問わずに紛れ込んでくるが、ここでは定点計測カメラの様なものを想定して欲しい。

*2:割と世間で良く知られている話のような気がして独自性に欠ける感も無くは無いのだが、この書籍は一応は講義の採録という形を取っているのでその辺りは仕方ないのかもしれない。もう少し、出典を明確にした方が公正であるような気はするが。