(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

『批評理論入門 「フランケンシュタイン」解剖講義』 廣野由美子

 小説読み方談義4

 ここの処、小説を読むのと並行して、文学理論に関係する様な書籍を選んで読んでいる。少し前に読んだイーグルトンの『文学とは何か』は個人的には近年稀に体験した衝撃であって、この領域の書物・理論に関する興味が増々膨れ上がって行く日々である。こんな事ならば、大学の学部生の頃にでも暇な時間を活かしてもっと文学部の講義にでもモグリに行っておれば良かったと思うのだが、残念ながら連続する事象を後方へと遡行し修正を加える事は現状不可能に思えるので、これから現れる事象に備えていくしかない。と云う訳で、文学理論を書物を読む事で細々と勉強していこうと思い、これまた、手元の参考書代わりに使っている『現代批評理論のすべて』で紹介されていた『批評理論入門 「フランケンシュタイン」解剖講義』を読んでみた。

 文学理論を扱った書籍という物はそれこそ数限りなく存在していて、そして文学理論自体も相当数存在する。しかしながら、例えば構造主義的批評を行うとして、実際どの様な批評を行えば良いのだろうか? これは実際の処非常な難問である。文学理論について語っている書籍の場合でも、僅かなセンテンスのみを抜き出してその実践例を示しているだけの事が多く、今一つピンと来ない事がしばしばある。また『文学とは何か』でも示されている様に、往々にして、文学理論を実践する際にはその文学理論の適用し易い小説なり文章なりが選定されている事があり、一般的な書物に対する応用という意味に於いては中々それが判然としない事がままある。実際その理論は一般的な小説や文章の読み方にどの様に適用されるのか? この様な疑問に答えている書物は案外少なくて、例えば、ロラン・バルトの"S/Z"なんかが好例らしいのだけれども、現在手に入れにくい。

 そこで、登場したのが本書『批評理論入門 「フランケンシュタイン」解剖講義』である。新書で「批評理論入門」、うむ初心者にも取っ付き易そうだ。ただ副題を見てちょっと本書に手を出す事を躊躇う人もいるかもしれない。何故にフランケンシュタインなのか?と。この書物は『フランケンシュタイン』を例にとって、様々な文学理論を解説する書物なのである。正直な処、私がその躊躇った人であって、『フランケンシュタイン』は何となく娯楽小説の様な印象であるし、文学批評理論の俎上に載せるのには余り適切な素材ではないのではないか?などと、本書を実際に読み始めるまでは勝手に考えていた。

 しかしながら、読み始めて直ぐに、その様な先入観は浅はかな偏見であり、狭い価値観に過ぎない事が分かって来た。『フランケンシュタイン』は様々な内容をごった煮的に内包する、様々な方向から読解しうる書物であったのである。本書はこの書物を題材にして、実際に様々な文学批評理論を適用しつつ、その効果や仕組みを懇切丁寧に解説している。著者は「まえがき」に於いて、テクスト構造を精査する内在的アプローチと批評理論を用いた広い解釈を行う外在的アプローチの二種類の読み方が共に重要である事を強調し、それぞれのアプローチが本書に於ける前半部と後半部に該当している。

 まず前半部分に於いて小説の技法の解説・構造解析が行われる。これは15の項目に分けられており、それぞれの点に関して『フランケンシュタイン』の実際のテクストに沿って丁寧な解説が施されている。15項目の例を挙げれば、「語り手」、「焦点化」、「間テクスト性」等である。基本的にこれらの解析は著者である廣野由美子氏が行っているが、既存の概念を適用する際には適宜引用や参考文献が提示されていて個人の思考と先行研究の区分がはっきりしていて非常に読みやすい。またこの先行研究にあたる部分の解説を読む事が批評理論の歴史を知る事にも繋がり、一石二鳥の感がある、と言うよりも、むしろ、それをも念頭に置いて書かれているのだろう。

 後半部分は批評理論の紹介となっている。こちらで扱われている理論の取捨選択は以前読んだ『文学とは何か』や私的参考書の『現代批評理論のすべて』から判断するに非常に公平な選択になっており、現在目にする様々な理論をほぼ網羅しているのではないかと思われる。扱われている理論を全て列挙すると「伝統的批評」、「ジャンル批評」、「読者反応批評」、「脱構築批評」、「精神分析批評」、「フェミニズム批評」、「ジェンダー批評」、「マルクス主義批評」、「文化批評」、「ポストコロニアル批評」、「新歴史主義」、「文体論的批評」、「透明な批評」の13の批評理論となっている。それぞれの批評に関して、実際に『フランケンシュタイン』を題材にした先行する研究文献を提示しながら、その批評の適用を分かり易く提示している。最後の3種の批評は比較的新しいもので、私は殆ど馴染みが無かったので非常に参考になった。実際の処、『フランケンシュタイン』が、かくも多様な批評理論の俎上に載っていたとは、正直な所、驚きであるとしか言い様がない。

 以上の2部構成で理論の応用を実地見学しつつ、懇切丁寧に調理された『フランケンシュタイン』味わい尽くすわけである。本書の素晴らしい点はその平易な記述のみならず、引用文献の提示の明瞭さ丁寧さにもある。しばしば、このように平易に書かれた書物というものは著者の思想と先行研究の境目が判然としなかったり、そもそも引用文献が明示されていなかったり等の問題点が存在する事が多いのだが、本書に関してはその問題は皆無である。興味を持った理論や言説のオリジナルの文献にあたる事で、理解を更に深める事が出来ると言う本来の入門書のあるべき姿を体現していると思う。

  さて、人に依っては小説なんかは理論ではなく、心で直感で読めばいいと思うかもしれない。確かにその様な読み方も一つのアプローチであるのだが、実はその様な姿勢で読んでいても上述された様々な理論を組み合わせて読んでいる事も多い。理論とは無から無理矢理捻り出されたものでは無いのである。それらを言語化し具体的記述で表現する事により、読書のアプローチの多様性を却って増強する事が可能となる。上の方で「『フランケンシュタイン』と云う、様々な方向から読解しうる書物」と私は書いたのだが、この様にこの小説を捉える事を可能にするのが文学批評理論なのである。

 本書は、文学批評理論に興味を持った全ての初学者にお奨めの入門書と断言して間違いないと思う。本書と『文学とは何か』を比較すれば、本書の方が初心者向けである事は間違いない。ただ、私は『文学とは何か』に見られる溢れ出る情動の熱風に魅せられてしまったので、本書の記述の公平さ冷静さにやや物足りなさを感じなくもなかった。が、この様な良質な入門書を新書で実現させるという業自体もまた、具現化された素晴らしい情熱であろう。

批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)

批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)