(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

『舞姫』 森鴎外

 近代的自我なる聖杯を求めて 

 先だって二葉亭四迷の『浮雲』を読み、日本文学の黎明期の苦心と工夫とその発展とを目の当たりにした訳であるが、最近読んでいる渡辺直巳の『日本小説技術史』に於いて、『浮雲』の次に森鴎外の『舞姫』が紹介されていた。当然『舞姫』なんぞは中学生位の頃には国語の授業に於いて副読本で以って読まされている訳であり、また、森鴎外は何度か読み直そうとしたので、『舞姫』も中学以降も何度か読み返している。只、余りじっくりと読んだ記憶はなかったので、せっかくだから『日本小説技術史』の中の解説を読む前に、この際、久し振りに丁寧に読んでみることにした。

 以前に『舞姫』を読んだ時には、不器用な学者肌の男が幾つかの不運な歯車の狂いの重なり故に愛する女性を見捨てて、ドイツから日本に帰って来るというお話で、ある意味人生の奇遇を描いているのだな、という印象を抱いていた。まあ何の事は無いというと変な話だが、物語らしい起伏のある話だな位にしか思わなかった。

 この『舞姫』短編であるし、美文でもあるし、様々な起伏も存在するしで、高校の教材にも使われたりもしていて、多数の解釈が存在していて面白い。

 例えば、少し昔にtwitterで見かけた意見なのだが、「この主人公の行動は女性に対して人非人であり、非常にけしからん」、と言うモノがあった。これは当然非常に首肯できる感覚であって、更に、何故この様な行動が許容されたのか、等を考えるとそれなりに深い解釈が出来そうである。また、当時のドイツは日本よりも先進国と看做されていた訳であって、その国の女性を日本人が蹂躙したという出来事をポストコロニアル的に捉える事も不可能ではなさそうだ。一番多く受け入れられている解釈は、ドイツに滞在中の主人公は「近代的自我」とやらに覚醒し、封建的価値観から解放されたかに見えるが、最後にはやはり封建的価値観に捉えられ挫折を味わうという解釈の様である。これも中々良く出来た解釈だと思うのだが、私はまた少し違った解釈を提示してみたいと思う。

 まず、そもそも主人公の行動様式に関して、主人公自身が記している処を紹介したい。

余は幼き比より厳しき庭の訓を受けし甲斐に、父をば早く喪ひつれど、学問の荒み衰ふることなく、

皆な自ら欺き、人をさへ欺きつるにて、人のたどらせたる道を、唯だ一条にたどりしのみ。

棄て難きはエリスが愛。わが弱き心には思ひ定めんよしなかりしが、姑く友の言に従ひて、この情縁を断たんと約しき。

恥かしきはわが鈍き心なり。余は我身一つの進退につきても、また我身に係らぬ他人の事につきても、決断ありと自ら心に誇りしが、此決断は順境にのみありて、逆境にはあらず。我と人との関係を照さんとするときは、頼みし胸中の鏡は曇りたり。

以上から覗えるのは、主人公は基本的に「外部に依ってその行動を規定されてきた」という事である。別な表現を行えば、主体的な自己決定を行わないとも言える。恋人となるエリスとの交渉に関してもそれは同じである。

その見上げたる目には、人に否とはいわせぬ媚態あり。この目の動きは知りてするにや、又自らは知らぬにや。 

兎角思案する程に、心の誠を顕はして、助の綱をわれに投げ掛けしはエリスなりき。かれはいかに母を説き動かしけん、余は彼等親子の家に寄寓することとなり、エリスと余とはいつよりとはなしに、有るか無きかの収入を合せて、憂きがなかにも楽しき月日を送りぬ。

この間余はエリスを忘れざりき、否、彼は日毎に書を寄せしかばえ忘れざりき

 この様に主人公の述べる処は、常にエリスによって関係は進捗していったのであって、主人公が積極的に推し進めたものでは無いという事である。

 更に、主人公に取って価値が在ったのは何なのか、自らの価値を如何に評価していたか、を文中から拾ってみると、常に成績が一番であったとか、同胞の日本人よりもドイツ語の理解が良いとか、他の誰よりもフランス語を巧く使えたとかであって、これらは総て他との比較に依って規定されるものである。その能力を使って何をしたのかではない処からも、主人公の価値観が自己の内部に存在するのでは無く外部との相対的な関係に依って規定されていた事が分かる。

 上述した一般に広く受け入れられているドイツ滞在時に「近代的自我」に目覚めたと云う解釈に対する反駁も行ってみよう。免職になってからの主人公の行動は大学にも行かずにカフェで新聞を読み通信社の社員として糊口凌ぐと同時に、エリスとの生活を楽しんでいた訳である。真にドイツ文化を学んだのであれば、ドイツ人との交流があって然るべきであるが、エリス以外との交流はまるで描かれていない。この生活自体は一時の享楽としては申し分なかったであろうし、この様な生活自体は近代化以前の日本にも十分見受けられた行動であって、数年この行動を続ける事が「自我=主体性」の成熟に繋がるとはとても思えない。ここにどうやって近代的自我とやら見出す事が出来るのだろうか?

 纏めると、主人公は結局の処、能力は高いのではあるが、空虚な人間であり、自己の必然たる自我(=主体性)を内部に十分に持ち合わせてはいない人間であると言える。総ての選択の責任を他人や外部に付託し、為すが儘に流されて、時には不遇をかこち、時には享楽に耽る。手記の最後には、友人をも恨むという形で徹底的に自己責任からの逃避を行っている訳である。そうして、総ての責任を自分から引き剥がす事により現在の自らの在り方を幾分か正当化しようと試みているかの様にも見える*1

 つまり、『舞姫』は「西洋的な意味での自我」というものが存在しない行動様式が描かれたものであって、「近代的自我」とやらは描写されていない、と主張したい*2。私が、ここで強調したいのは、自己の意思を中心に据えての行動はせず、外部に行動や価値を規定されるという在り方は、自己の主体としての自我が薄弱な前近代的在り方であり、現代の我々は、それを観察する事に依って、近代市民社会に誕生した自我と云うものを朧げに掴めるのではないか?という事でもある。

 しかし、ここでもう一つ問題が浮かび上がってくる。所謂、日本文学的な意味での「近代的自我」とは何なのかと?それは確かに存在するものだったのか?西洋への憧れの中に見出した単なる聖杯に過ぎなかったのではないか? 実際の処、調べてみた限り、明治期の文筆家で「近代的自我」を主張した人は見当たらない。どうやら太平洋戦争後に新たな精神的近代化への必要を求めて生まれた文学用語の様である。日本は明治時代に近代化に成功したとは謂え封建的価値観は強く残っていた様だし、太平洋戦争敗戦までの10年間程は全体主義国家になってしまっていた訳であって、明治の文学に「近代的自我」を見付けるという事は、全体主義からの個人尊重への流れを支える思想的潮流でも在ったのだろう。

 ここら辺りの必然性は分からなくもないのではあるが、文学的な文脈で「近代的自我」と言われるとどうにも何か広い範囲のものを無理矢理一つに纏めてしまったような感じがしてどうにもピンと来ない。そもそも、朧げに感じられる自己意識とやらが、自分自身という境界の曖昧なものの最高決定機関なのか?最高決定機関足り得るのか?自我というものが自己を支配する必然的な根拠はそこまで強固なものなのか?などと、考え出すと、自我とか言うあやふやなものをそんなに大切にしていいのかしらん?と思ってしまう。勿論、封建的価値判断に身を委ねたり、外部評価に行動を規定されるよりは、自己を頼りにした方が良いように思えるのは確かではあるのだが。

 文学用語としての「近代的自我」を持ち出した荒正人と同人であった埴谷雄高が『死霊』に以下の様に記している。

それは一般的にいって愚かしいことに違いなかったが、《俺は──》と呟きはじめた彼は、《──俺である》と呟きつづけることがどうしても出来なかったのである。敢えてそう呟くことは名状しがたい不快なのであった。誰からも離れた孤独のなかで、胸の裡にそう呟くことは何ら困難なことではない──そういくら自分に思いきかせても、敢えて呟きつづけることは彼に不可能であった。主辞と賓辞の間に跨ぎ越せぬほどの怖ろしい不快の深淵が亀裂を拡げていて、その不快の感覚は少年期に彼を襲ってきた異常な気配への怯えに似ていた。
-『死霊』 埴谷雄高

私はこの文章に非常な共感を抱くし、この文章に示されるような懊悩の狭間に囚われるのが当然ではなかろうかと考える。デカルトの信頼した、「思考している私」と云う意味での自己意識・自我は確かに存在しているのだろう。だけれどもその自我は私という存在の内どれくらいの部分を占めて居るのだろうか?、また自我は私の存在の内に完全に内包されているのだろか?それとも重なり合わない部分も存在しうるのだろうか? 日本の知識人の一部がその中に自我の存在を夢見た欧米人といえども、この辺りの思惟に関してはまだ追求を続けているのではないかと思う。

 そもそも、完全に外界から独立した自我と云うものも冷静に考えればなかなか想像するのは難しい。「自己=主体」を中心にした規範と外部からの規定との間のどこかに存在するのが自我ではないかとは思う。まあ『舞姫』で「近代的自我」を持ち出すお話が昔から多いので、それはちょっと違うのでは無いか?との思いから、だらだらと自我云々を捏ね繰り回してしまったのだけれども、又その内きちんと考えてみようとは思っている。

  処で、実際問題として個人単位の生活で言えば、どんな価値観・行動原理を保有していようが余程極端なものでない限り、日々の生活には大して差は無いだろうとは思う。ただし、社会共同体の一員として考えた場合には、やはり、個々人の自我を認め、個々人の内部から生まれる行動原理を尊重しておいた方が、総体としての社会が人々にとって望ましい物へと変化していく可能性が高くなるのではないかとは、漠然と考えている。私の個人的イデオロギーとしては、懐疑的な部分がかなり存在する事を留保しつつも、近代に於ける自由意志の尊重と自己意識への信頼は称揚したいとは思っているが、窮極の処、個人の在り方は人それぞれであろう。

舞姫

舞姫

 

*1:ここに関しては主体性の芽生えを感じなくも無い。

*2:鴎外自身は随筆『妄想』に於いて、欧米人が有難がる自我と云うものが良く分からない、という趣旨の事を記している。勿論、鴎外は自己意識と言う意味での自我と云うものは理解していただろうが、外部から構築される価値観から完全に離れた、「自己=主体」を至上の物とする思考には余り共感を感じなかった様に見える。

『日本ミステリー小説史 黒岩涙香から松本清張へ』 堀啓子

 お手軽な日本推理小説小史

 どんなものでも、その歴史を調べるのは面白い。そして当然小説群にもその歴史的経緯が存在する。例えば、ポーの『モルグ街の殺人』、この小説が現代の推理小説界にポンと跳び出てきたとして、必読の書と看做されるようになるかという点については疑問符が付く様に思うのだが、世界最初の探偵小説と思うと有難味が一気に増してくる。また江戸川乱歩の探偵小説群に於いては西洋の探偵小説から拝借したトリックが散見されるが、これまた江戸川乱歩を先に読んでから、西洋の古い探偵小説を読むと、乱歩の方が巧く使っているなと魅力がやや減じて感ずる部分もあれば、ああこれが元の種だったのかとトリックの輝きが2割増しに感じる事もある。小説群は歴史的関連性をもって順行性にその影響を及ぼしているので、歴史的経緯を知る事はしばしば、古い小説の魅力を増幅させる事に繋がるし*1、また同時に、先行する小説からの影響を後の小説に確認する事も、しばしば、その小説の味わいを深める事に繋がる。

 と云う様な訳で、ふと日本の推理探偵小説のざっとした歴史を知りたいと思い、どんな書籍が存在するかを調べたところ、中島河太郎著『日本推理小説史1-3巻』、伊藤秀雄著『明治の探偵小説』、『大正の探偵小説』、『昭和の探偵小説』、郷原宏著『物語日本推理小説史』等が見つかったのだが、残念ながらどれもkindle版は存在しなかった。そんなもの紙媒体で購入すれは良いではないかと言われるかもしれないが、私は書籍を一度購入すると捨てられない売れない性質なので、現在の個人的な事情からなるべく電子書籍で購入したいのである。そこで、Amazonで適当に検索を掛けてみた処、この『日本ミステリー小説史』に行き当たった。中公新書なのでまあ当たり外れはあるだろうが、大して高価でもないし、Amazonの批評はやや厳しめだが、そこはこの手の推理探偵小説を好む人々は手厳しいので割り引いて考えて、えいやと購入して一読してみたのである。

 タイトルには「黒岩涙香から松本清張へ」と云う副題が付けられているが、本書が詳しく述べている推理小説史は主に江戸川乱歩達の活躍した大正期の前までだと言って良いだろう。そもそも、本書の記述が江戸川乱歩に辿り着いた時点で、既に内容の7割に達しているのである。勿論、推理小説通史の様な物を最初から近代まで通底して書き上げる事が可能であれば、それに越した事は無いのであるが、本書は新書であるし、ページ上限の都合上、何処かに重点を置かざる得なかったのだろう。そして本書において重点が置かれているのは主に推理探偵小説勃興の少し前から、明治期に掛けてだと思う。

 最初に焦点を当てているのは、江戸時代に読まれていた『大岡政談』そして井原西鶴作とされる『本朝桜陰比事』の裁判説話ものである。この様な裁判説話物が何故推理探偵小説の先祖になるのか、と、不思議に思ったのだが、まあ言われてみれば確かに、裁判というものは罪咎の詳細を改める訳であって、ある種の探偵的行為と言えなくもない。さらに『鎌倉比事』が紹介されている。ここでは青砥藤綱という人物の活躍が描かれており、これもまた確かに大岡越前と並んである種探偵的傑物というものの先駆けになるのかもしれない。これらの江戸時代に編まれた「比事=裁判物」は中国の古典や日本の古典などからその元の骨子を借用している事も多い様で、それこそ、殺人の謎などは古来よりあるものなのだから遡りだせばキリがないのだろう。

 どうも江戸川乱歩もこの手の裁判物等を探偵小説の類縁と見做していた様で『悪人志願』中にこれらに関して触れている。

東洋で云えば、日本の大岡政談風のも、元祖が西鶴の桜陰比事で、その又元祖が支那の棠陰比事、詐欺の話では、支那の杜騙新書、騙術奇談、日本では昼夜用心記、世間用心記、随分古くから探偵小説らしいものがあった。
-探偵趣味(『悪人志願』 江戸川乱歩)

 黒岩涙香に関する記述以降は、須藤南翠、そして著者の専門分野である硯友社と尾崎紅葉達の探偵小説への関わりが記されている。恐らく、この新書で一番の読み処はこの硯友社関係が行った春陽堂の『探偵小説』シリーズに関わる仕事と、泉鏡花の初期の探偵小説もどき、尾崎紅葉の推理小説風味の一連の仕事、そして同じく春陽堂の『鉄道小説』に関する部分だろう。この辺りを読むと当時文壇で名を馳せていた硯友社の面々が探偵小説にも軽蔑を持ちつつも興味を持って関わっていた事が分かる。この辺りが、著者の愛を最も感じる部分であって、下手に推理探偵小説通史に纏めるよりも、この部分に全てを注いだ方が、書籍としてはもっと面白い物になったかもしれない。

 江戸川乱歩以降の記載はまあ誰が書いても大して変わらないだろう。Amazonの評を見ると誰が抜けているとか、誰への言及がないとか、翻訳物への言及が足りないとか指摘されていて、それは確かにそうなのだが、全てを一冊の新書に求めるのは無理難題である。

 ざっと読んだ感じでは淡白な部分が多いとは感じたが、推理小説小史をさっと学ぶのには手頃な書籍だと感じた。ただ余りに淡白なので、この本で得られる知識位ならネットで適当に検索するだけでも事足りるかもしれない。ちなみにこの書籍は科研費基盤Cによる研究の成果物の一つのようだ。それなりの研究者であれば、科研費を獲得していて何の不思議も無いし、それで以って書籍の刊行に至るとは立派な話である。しかしそれにしても公費で文献を研究して新書刊行とは...... 羨ましい話である。

日本ミステリー小説史 黒岩涙香から松本清張へ (中公新書)

日本ミステリー小説史 黒岩涙香から松本清張へ (中公新書)

 

*1:オリジナルの方を有難がってしまうと云う私個人の性質にも依るのかもしれない。勿論、人に依っては、歴史的経緯なんぞに注意を払う意味はなく、独立した小説として味わうべきという立場もあるだろうけど。

『浮雲』 二葉亭四迷

 二葉亭四迷による日本文学表現への挑戦

 少し前に『真景累ヶ淵』を読んだ処、どうやら『怪談 牡丹燈籠』の方の様であるが、三遊亭圓朝のお噺の口述筆記本が二葉亭四迷の言文一致活動に影響を与えた事を知り、先行する文学を巧く参考にして書かれている小説も多い事だし、日本の文学の歴史的発展なぞも知れば面白いに違いないという観点からも『浮雲』(1887-1890年)読んでみた。

 この『浮雲』現在では言文一致体小説の嚆矢と見做されていると思う。言文一致とは字の如く、話し言葉で文章を書くというものであって現在の文章は特殊な効果を狙った場合を除いてはまず言文一致体で書かれている。しかし明治のこの時期には書き言葉は書き言葉として明確に存在していた訳であって、書き言葉を記すのに特別な労苦を要さない二葉亭四迷が何故言文一致体を選択したかと疑問に思う人も多いだろう。二葉亭の『余が言文一致の由来』に依れば、文章が書けないから、簡単に書く方便として圓朝の速記本に倣って言文一致で書き記したと述べているが、同時に、それだけが理由ではなくて、旧来の国文作法や漢文作法に囚われない新たな文章を、実際に日本の社会で使われている言葉で以って書き表そうという意気込みもあった事を明らかにしている。

 『浮雲』は言文一致体で書かれたという事で殊更に有名であるのだが、それだけに留まらず、野心に満ちた様々な文学的挑戦が行われている。そもそも『浮雲』当時に於ける大きな特徴の一つとして、まず題材に他愛も無いそこいらにいる人々の交渉を扱っているいう点が挙げられる。例えば『南総里見八犬伝』の様な忠義烈士が奮闘する華やかな物語では無いし、『真景累ヶ淵』の様に奇縁で話が進んでいく訳でもない。平凡な人々の心理的描写に重点を置いているのである。現代でこそ、いや、『浮雲』から10年もすれば、別にこの様な他愛も無い人々の心理的交渉を小説の題材にするという事は何の不自然でも無くなっていた訳であるが、当時の日本の物語作法としてはこれは非常に珍しい事であったらしい。二葉亭四迷としてはロシアの自然主義文学からインスピレーションを得て今までの日本には無かった新しい文学を打ち立てようと心血を注いでこの『浮雲』に取り組んだようだ。

 『浮雲』では、まず不自然な奇縁や偶然と云う類のものを極力排している。例えば、これは渡辺直巳からの受け売りなのだが、話の展開をスムーズにするために偶然誰々が何々しているのを見付けてしまっただとか、誰かと誰かが重要な事を話し合っているのを立ち聞きしてしまった、等という古典的日本の娯楽物語にあるような要素が殆ど出てこない。特に立ち聞きや盗み聞きと云う道具は日本の小説だけでなく、様々な小説で都合良く使われる便利な道具なのだが、二葉亭はそれを完全に排除している。単に小説中に立ち聞き場面が出てこないだけなく、小説内で登場人物が、盗み聞きを牽制する場面すら出てくるのである。日本家屋は密閉性が低く*1、そもそも会話が漏れ聞こえやすい。実際、この『浮雲』執筆時には二葉亭の近隣に住む有名な女学生の会話等が漏れ聞こえるのを路上で立ち聞きして、小説の登場人物にしたという位である*2。にも拘らず、四迷はストイックにも、この便利な道具を使わず、不自然な造形では無く、自然の中に現れる様な心理の綾を文章で掴まえようとしたのである。

 また、物語の語り方、語り手の設定も日本の先行する戯作調文学とは随分と異なり、当時二葉亭四迷が親しんでいたロシア文学のそれに近いようだ。『浮雲』は三編に分かれており、少しずつ時期を空けて発表された。最初に世に出た第一編は坪内逍遥の名の下に連載され、かつ二葉亭の文章に、少なからず逍遥の手が入ったようだ。その為であろう、第二編三編に比べると、かなり語り手役の存在が意識される記述になっている。また多彩な美辞麗句で以って文章に相当な装飾が施されており、現代いや大正辺りの小説と比べてもやや古めかしい感を受ける。この語り手役が物語を進めて行くのだが、段々とその影は薄くなり、やがて第二編に入る頃には、現代の小説などでも良く見受けられる、所謂「神の視点」からの描写を地に、主人公に焦点が当てられその心理的動向が記述される様になる。第三編に入ると、その「神の視点」からの描写は、より主人公の主観に寄り添うようになり、主人公の内心の暴露はより濃厚な密度で描写されるようになる。これは最早ある種の一人称視点で書かれた小説とほぼ同一と言えるかも知れない。

 二葉亭四迷は『浮雲』以前に『小説総論』に於いて、意味を表象する為には形を巧く模写せねばならないという趣旨の事を記していた。その意味に於いては第二編こそが二葉亭の考える小説に於ける心情描写の在り方を最も良く体現していると思われる。この第二編に於いては心理描写に関しては主人公の心理のみの限定されており、これによって人形劇的な平板な記載から逃れる事に成功している。また、心情を描写すると言っても、私小説や独白的なものと異なりこの第二編では主人公の感情描写にそれ程までには立ち入っていかなず、丁度いい塩梅で巧く主人公の内心を描いている。勿論、二葉亭四迷の優れた文章表現がそれを可能にしている部分が大きいのであるが。

 この様に当時としては最先端の工夫を凝らして書かれた小説であるが、では、実際にその中で何を描いていたかと言うと、教養と俗世、金銭と愛情の様な後に良く小説の俎上に載るものを描いていた。これらの変遷を客観的視点と主人公の内心からの視点との両側面から描き、その認識のずれを読者に感じ取らせる事で感情の綾を巧みに表出している。技術と工夫によって構築された新時代の小説であるし、描写の妙からお話自体は楽しめるのだけれども、個人的にはやはり、扱われた題材がやや平凡過ぎたきらいがあると思う。

 実は最初にこの『浮雲』を読み進めている間、これは尾崎紅葉の『多情多恨』とそれ程変わらないのではないか?と感じた。二葉亭四迷は尾崎紅葉の硯友社の文学を下に見ていた訳であるが、『浮雲』から6年で『多情多恨』はこの世に現れ、しかもそれが描く心の綾の繊細さ緻密さは『浮雲』を凌いでいる。そしてそこで表出された曖昧で緩やかに変化する微細な感情は、一言では断ぜられないものであって、文章で小説で初めて表出出来るようなものであった。6年の内に紅葉は四迷の小説を捕まえそして追い抜いて行ったのだとも言える。これを更に推し進めて行くと芥川龍之介が『或日の大石内蔵助』で達成したような、心で感ずれども言葉に纏める事が困難な感情を具現化する事になるのではないか?そしてそれこそが、二葉亭四迷が理想とした小説描写だったのではないだろうかと考えてしまう。惜しむらくは四迷の挫折である。

 内田魯庵によれば、『浮雲』も後に発表された『平凡』も所詮は失敗に終わった小説との事である。二葉亭四迷はその道半ばにして文学的挑戦を放擲してしまった。内田魯庵は「結局二葉亭は日本には余り早く生まれ過ぎた。」*3とも述べている。

 宮本百合子も似た様な事を記しているし、さらに二葉亭の挫折に無念を表している。

彼の悲劇は、あれだけ日本のために文学をもって働きかける力をもっていたのに、周囲のおくれていたことに本質的には敗けて文学の理想は大きく高く懐きながら、その道から逸れて行った心理のうちにある。
-『生活者としての成長』 宮本百合子

 二葉亭四迷は一所に落ち着かない様に生まれ付いた性格だったらしいので、いずれにしても文学界に安住する事は無かっただろうけれども、『浮雲』でその非凡な才を明らかに示した以上、その先にも文学への挑戦を突き詰めて突き詰めて更に新しい何かを生み出す事が可能だったのではないか、と云うのは往時を知る人々の共通の思いだったのかもしれない。

浮雲

浮雲

 

*1:この意味で横溝正史が『本陣殺人事件』において日本家屋での密室状態の殺人事件を巧く構築したのはエポックメイキングな出来事であった。

*2:内田魯庵の『二葉亭四迷の一生』を参照されたし。

*3:この辺りは内田魯庵の『二葉亭追録』に依る。