(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

推理探偵小説 読書録

 推理探偵小説の読後の覚書のようなものをこれから書いていこうと思う。

 私は時々小説を読むし、推理探偵小説もしばしば読む。推理探偵小説は自分にとっては非常に読みやすく、ある種の娯楽として嗜んでいる。小学生くらいの時分に図書館で南洋一郎が子供向けに翻訳したルブランのルパンや江戸川乱歩の少年探偵団ものを読み始めたころから、推理探偵小説にもハマり始めた感がある。ホームズも当然読んだのだが、当時はあまり感心しなかった。大学くらいになって読むと非常に面白かったのだが、小学生にとっては冒険感が足りなかったのかもしれない、バスカビル家の犬はその点怪奇冒険風味があってホームズ物の中では当時は格別に面白く感じたのを覚えている。

 このように、最初のとっかかりが江戸川乱歩だったりルブランであったりしたので、今でも自分にとっての推理探偵小説はやや怪奇冒険掛かったのものであって、日本の小説で言えば、江戸川乱歩か横溝正史ということになる。長らくこの両者が私にとっての推理探偵小説大家であって、それ以外のものに関しては対して注意を払っていなかった。例えば、西村京太郎なども推理小説の部類に入るのかもしれないし、高校の時分に友人から貸されて何冊も読んだはずなのだが、詳細はまるで覚えていない。ただ、時刻表なんぞを見ながら頭の中で旅をしたり、実際に各地方の列車に乗ったりするのは楽しかろうと思ったのは覚えている。そうそう、このように詳細を忘れてしまうのは、同じお話を何度も味わうには適しているのだが、毎回忘れてしまうのも余りにも寂しいというのが、覚書でも残していこうかと思った理由の一つでもある。

 最近、東西ミステリーベスト100というリストを見て、西村京太郎は載っていないことに気づいたり、松本清張がリストに載っていてああこれも推理小説の部類なのかと思い、さらにドグラ・マグラが載っていて、これもミステリーに含めるのはさすがに無理があるのではないか?と感じたりした。で、その東西ミステリーベスト100というのは1985年と2012年に発表されており、まぁ推理探偵小説をざっと楽しむのにはいいリストのように見えるので、さしあたり、このリストから適当に作家を探して読んでみようと思い立った。ちなみにミステリーという表現は誰が使い始めたのかは知らないのだが、やや響きが陳腐で個人的には好みではない、やはり、乱歩が称したように推理小説・探偵小説という呼び名の方が良いのではなかろうか。

 推理探偵小説は当然洋の東西を問わず存在しており、海外の例えばポーなどは怪奇趣味に非常に合致しているといえる、が、翻訳物というのは訳による当たり外れが多く、個人的にはやや敬遠してしまう。自分に相応の語学力があれば原著に当たるのがベストなのであろうが、残念ながらそこまでの語学力はない。

 なので、当面この覚書は日本の推理探偵小説に関して書いていこうと思う。