(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

『刺青殺人事件』 高木彬光

 妖艶な刺青の魔力

 この覚書blogは元々は文藝春秋の東西ミステリーベスト100に選ばれた推理小説をどんどん読んでその感想を書き残しおこうと思って始めたのだけれど、そう言えば最近日本の推理小説でそのベスト100に入っているものを余り読んでいなかったなと、リストをつらつらと眺めたところ、たまたま上位に選ばれている高木彬光の『刺青殺人事件』(1948年)が目に入ったので早速kindle版を購入して読んでみた。

 この『刺青殺人事件』は実は江戸川乱歩が気に入って「宝石選書」の第一号として出版された小説である。乱歩は「刺青殺人事件」(『城外散策』収録*1)に於いて以下の様に評している。

本格物の得意な作者の常として高木君も小説は決して巧みとは云えない。普通小説としての新鮮味は感じられない。しかし謎の構成に可なり大きな独創があり、その解決の叙述が甚だ巧みであって、論理的興味は十二分に盛られている。これを読んだ当時、私は友人の誰彼にその話をし、謎の独創性では英米の著名作の水準に近く、筋だけで云えば「本陣殺人事件」「高木家の惨劇」もこれには及ばないと語ったほどである。
-「刺青殺人事件」(『城外散策』 江戸川乱歩)

 本格派の推理小説家の文章が今一つと言われるのは昔から変わりない様だけれども、文章面はともかくとして、その推理小説的側面に関しては、乱歩は高く評価した様だ。

 最近、西洋のやや大雑把な古典探偵モノ*2を何冊か読んでいただけに、この高木彬光に依る処女探偵小説は中々キリっと引き締まった味わいがあった。推理小説を愛読していた坂口安吾がこの小説の文章をまずいまずいと言っているが、坂口が言う程そんなに酷いとも思わない。中々引き締まった妖艶な空気感を醸し出す事に成功していると思う。

 何と言っても、絢爛華麗な「刺青」の非日常性、「刺青」に依って異端に生きる傾奇者、「刺青」を隠す事で顕れる捻じれた倒錯美等が作品の背後に暗渠の様に流れていて、単なる謎解きに日常からの逸脱を付加している処が美しい。「刺青」に纏わる禁忌、例えばこの小説で紹介される、不動明王を彫ると発狂するだとか、蛇の刺青は切れ目を入れておかないとその人を絞め殺すだとか、そして大蛇丸・綱手姫・自雷也の三竦みの呪いだとか言った類の禁忌は、刺青が持つ作用──しばしばそれを纏った人間を主客逆転してその優位性を変転させる作用──が、刺青を背負う人間、刺青を施す人間、そして刺青に心を魅かれた人間達に無意識に共有されていた事の証左だろう。この人の運命すら狂わせ兼ねない刺青を巡って行われているかに見える連続殺人がこの小説の肝なのだけれども、出だしの辺りの妖しく薫る描写が最高潮で、段々とその緊張が減弱していき普通の本格推理小説に落ち着いていってしまう処はやや残念な感がある。

 さて、小説の梗概を記すと以下の様になる。密室の中、妖艶な大蛇丸の刺青を背負う美女が胴体を除く頭と手足のバラバラ死体で発見された。そして、その美女の愛人である土建屋の社長も自殺を装って殺された。疑わしいのは被害者達と面識のある、刺青偏執狂の大学教授、土建屋の社長の弟、美女に横恋慕していた土建屋の支配人である。この犯罪の真犯人特定に苦戦する警察の前に、天才探偵神津恭介が現れる。さて天才神津は如何にしてこの謎を明かすのか?

 この小説に於ける肝腎のトリックは大きく分けて2つ有ると言えるだろう。まず最初にバラバラ死体の被害者は誰なのか?そして何故密室で殺人が行われたか?である。この謎の提示がまずいと坂口安吾が不平たらたらである。安吾の云う処はもっともであって、双子の片方がバラバラ死体で発見されれば、これは探偵小説である以上、もう、一見した処被害者に見える方が被害者な訳がない。現実の世界であれば、そうそうトリックなんかはないだろうけれども、小説の世界で双子を提示して、こういう殺人を描いてしまうと、ちょっとこれは苦しい。もう一つの密室殺人も、密室殺人を行う意義という点で非常な苦境に追い込まれている。以前にも書いた事があるのだけれども、密室にすると犯人候補が狭まってしまって、大抵の場合犯人にとってのメリットが薄い。これは安吾も正に指摘している処で、残念ながら本作に於いても「天才的犯罪者」が行った奇術としては今一つと言わざるを得ない。一応、エクスキューズとして犯行現場の推察を心理的に拘束するというアイデアが使われていてこれは筋は良い面白いアイデアだとは思うけれども、この一連の流れの中ではそれ程巧い効果を出してはいない。更に、メインのトリックのオマケ的に描かれている社長の自殺偽装に至っては小説内の警察ですら偽装と見破ってしまうのであるから、これはもう蛇足感が拭えない。

 坂口安吾はこんな風に批評している。

 刺青殺人事件は、すぐ犯人が分ってしまう。それを、いかにも難解な事件らしく、こねまわしているから、後半が読みづらい。三分の二が解決篇みたいなもので、その冗漫が、つらい。
-『「刺青殺人事件」を評す』 坂口安吾

 この作者は、よいトリックをもち、性本来ケレンがなく、論理的な頭を持っているのだが、つまり、読者に提出して行く工夫に、策が足りなかった。そして、文章もまずい。まずいけれども、さのみ不快を与えるほどの文章でもないから、これから筆になれゝば、これで役に立つだけの文章力はある。大切なことは、トリックを裏がえしにして、読者に提出して行く場合の工夫に重々細心の注意を払うことを知ることである。
-『「刺青殺人事件」を評す』 坂口安吾

 かなり辛口の評なのだが、工夫が足りないだけで未来があるとも後段で述べていて、実際高木彬光は推理小説家として大成した訳だから安吾の嗅覚は結構鋭かったのかもしれない。因みに、乱歩が良いと思った処を安吾は丸で良いとは思わず、逆に乱歩が特別評価しなかった処を安吾は評価した様だ。乱歩は割と空気感重視の推理小説を好む人であり、逆に安吾は所謂本格好みだったので、評価する部分がまるで異なるというのもまあ当然かもしれない*3

 純然たる本格派推理への試みが表れてはいる本作だけれども、安吾が評した通り本格推理小説としては工夫今一歩及ばずといった感があるのは確かである。だが、不思議と読ませる。安吾が幼稚だとか冗漫だとか言っても読ませるモノがある。続きが気になる。多分トリックはこんな感じで犯人は誰々だろうなと思っても続きを読みたくなる。これは本当に不思議な魅力で、結局この辺りの推理小説愛好家を惹き寄せる「何か」というモノは天性の授かりモノなのかもしれない。上にも挙げた様な欠点から、読者は割と早い内に犯人にもトリックにも気付いてしまうのだけれども、それでも続きを読みたくなる様なそういう「何か」の魅力がこの推理小説には潜在している様に感じる。それはやはり刺青が醸し出す妖しい魔力なのかもしれない。高木彬光はこの後も刺青に纏わるお話は幾つか著している様だ。処女作で刺青に触れた高木氏もまた刺青の魔力に囚われたのかもしれない。

刺青殺人事件?新装版? 名探偵・神津恭介1 (光文社文庫)

刺青殺人事件?新装版? 名探偵・神津恭介1 (光文社文庫)

 

 

*1:光文社刊、江戸川乱歩全集の26巻『幻影城』に収録されている。

*2:乱歩の古典ベストテンの『月長石』やら『リーヴェンワース事件』やら『ルルージュ事件』などは面白いのだけれども、ラブロマンス的な寄り道も多くて読んでいてやや緩く感じる事があった。

*3:推理探偵小説批評に於ける姿勢が、乱歩は一般に甘口で、安吾が大体に於いて辛口といった具合に、これ又まるで逆なのも面白い。