(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

『LGBTを読み解く-クィア・スタディーズ入門』 森山至貴

 クィア・スタディーズの「今」を知る

 最近、フェミニズムを解説する書籍やセクシャルマイノリティの理論に関する言説を読んでいる。その理由は、これらの理論はマイノリティが如何にしてマジョリティと渡り合うか、そして、如何にして多様性と自由を尊重しながら公正な平等を実現するか、という所に直結していると考えられるからである。

 さて、実際にLGBTやクィア・スタディーズに関する書籍をkindle版で探してみると、ほぼ選択肢が存在しない。勿論、英語書籍を視野に入れればかなりの書籍が選択肢に上がってくるのだけれども、最初に物事を学ぶにはやはり日本語の方が圧倒的に適している。と言う訳で、kindle版で日本語で読む事が出来たのがこの森山至貴・著『LGBTを読み解く』である。本書を読んで色々と考えた事を覚書しておく。

 本書は全8章からなっており、著者は1-4章を準備編、5,6章を基本編、7章を応用編、そして8章を現実の世界との橋渡しとしている。8章の内半分以上を準備と基本が占める事からも分かる様に、本書はこれからクィアの視座を学ぼうとする人達への正に入門書という位置付けになっていると言って良いと思う。

 最初に、セクシャルマイノリティの大まかな定義が示されている。その定義は「セクシャルマイノリティとは社会の想定する「普通」の性からはじき出され、「普通」の性を生きろという圧力によって傷つく人々」という様に纏められる。

 ここで現状の「社会=マジョリティ」の想定する「普通」の性は何か?と考えると、本書を読んで理解した範囲では、男と女というジェンダー(=性別*1によって社会が割り当てる性的規範)という事になるだろう。つまり、セクシャルマイノリティはこの「社会=マジョリティ」が規定してきた男か女というジェンダーから異なる人々という事になる。この、男女のジェンダーとは、性別と性的志向の組み合わせを異性愛に限定したものであり、かつ、性別と性自認が同一である事を前提としたものだと理解する事が出来る。しかし、ジェンダーは男と女だけと規定して良いのだろうか*2? ジェンダーというものが定義的に男女のみと限定するのか、そうではなく多様なジェンダーを想定しうるのか、本書の著者は明確には定義していないが、現実の問題として多様なジェンダーが現れつつあるのではないかと思う。

 そもそも、性自認という意味での男女は恐らく社会的に形成された部分が大きいだろう。勿論性別的な意味で言えばXXかXYという異なる染色体構成であるから生物的に異なる点が多々あるのだけれども*3、思考や行動にその生物的差異がどの程度の強い影響力を持つのかはそれ程明確には分かってい無い筈である。例えば、男女の脳の解剖学的差異や機能的差異を報告する研究例が散見されるが、少なくとも近年行われたmeta-analysisでは海馬や扁桃体の形態に男女の差異は認められない様だ*4。機能的差異に関してもmeta-analysisを行えば差異は有意差を持たないか相当小さいかのではないかと想像している。考えるに、社会が存在しない状況では性自認は男か女というbinaryな物ではなく幅広いガウス分布が2つ重なりあった様な物になるのではないだろうか*5。性的志向に関しても同様の事が推察し得るだろう。つまり、社会がジェンダーを形成し、人々の性自認やそれが引き起こす行動様式を制約している側面はかなりあるのだろうと、私は考えている。

 社会が男女というジェンダーを概念的に規定したが、概念の登場に依ってその輪郭が形成されたのは男女だけではない様だ。著者は異端としての「同性愛」という概念が現れたのはこの150年くらいの事であり、それと共に「同性愛者」という概念が生まれたと指摘している*6。この概念の誕生に依って、「自分は同性愛者」という自己認識を持つ人々が現れ、やがて連帯し、現在の様な社会運動に繋がった。同様に、初期においては同性愛者と同一視されたり逆に同性愛者から差別されたりしていた現在のトランスジェンダーも、トランスジェンダーという概念の普及と共に、同性愛者との差異化が進みまた新たな形での連帯も形成されて行った。本書ではおおよそこの様に概念の誕生とセクシャリティの新たな自己認識の歴史を説明している。

 この様なセクシャルマイノリティのアイデンティティの変遷、多様なセクシャリティの差異と連帯、それらを捉え直す為にクィア・スタディーズは有効な視座であると著者は述べている。そして、本書で説明されているクィア・スタディーズの観点を学べば、確かに、セクシャルマイノリティとは均質な集まりではなく、マイノリティという点で連帯が可能ではあるが、様々な異なる軸の多様性を持つという事が良く分かる*7。上で述べたように性自認や性的志向がbinaryではなさそうな事を考慮すれば、この多様性は、恐らく既存の男女のジェンダー割り当てられた人々の内にも存在する物であろうし、やがて均一視されていた既存のジェンダーも細分化され多数の軸を持つものとして捉え直されていくのかもしれない*8

 最後に本書中興味深い文章があったので引用する。

<前略>パートナーと生きているわけではない人は必ず一定数存在します。何もかもをパートナーシップの権利保障の枠内で解決しようとすれば、「独り身」の人の権利が侵害されることになりかねません。
 そもそも、性的指向や性自認を固定的で永続的なものと前提してしまうことを、クィア・スタディーズは批判してきました。端的に言って、人は変わるし、変わってよいのです。
 そのクィア・スタディーズの視座を貫徹するなら、特定のパートナーとの永続的で固定的な関係を前提とする人間観も、また誤りです。もちろん、性的指向にかかわらず多くの人が特定のパートナーとの永続的な関係を望んでいることは確かでしょう。でも、婚姻を含む社会の制度がそれを前提にせず、もっと開かれた人間観に基づく平等なものになりうるのならば、それを拒む必要はありません。
-『LGBTを読み解く-クィア・スタディーズ入門』 森山至貴

 これはクィア・スタディーズの視点から様々な性愛の形を考慮しているから書き記された文章なのだろう。ホモノーマリティの項でも著者は触れていたが、例えば、同性婚を単に称揚するのみであれば*9、それは結婚という形で社会構造に組み込まれ、ジェンダーを規定してきたマジョリティと単純に同化し抑圧構造を強化してしまいかねない。上記引用に示される様に、「独り身」の姿勢も当然認められるべきであるし、単婚至上主義もマジョリティが規定する「普通」で「正常」の一部であって、それ以外の形態も考慮すべきだろう。そして、その次に書かれている様に、永続的かつ固定的な関係のみを「普通」で「正常」とする事にも疑義を抱くのが当然だと思われる。性愛の多様性をロジカルに考えて行けばこの様な思考に帰結する事は頗る妥当であり、心から首肯できるものである*10

 この書籍はかなり最近、2017年に刊行された書籍であり、本書で紹介されている理念の「今」を知るという意味においても、最適の一冊だと思う。著者は本書で説く様々な要素を学び知り考える事で、偏見や差別から脱するのは勿論、単なる「なんでもあり」的な態度からも脱却することを称揚している。私が全てを正しく理解出来たかどうかは分からないが、その説明は丁寧な言葉で分かり易く思えるし、多様な視点が紹介されており、入門書として申し分ない。その上最後に説明付きで豊富な読書案内が付いている。この読書案内を道標にこの分野をもっと勉強してみたい*11

LGBTを読みとく ──クィア・スタディーズ入門 (ちくま新書)

LGBTを読みとく ──クィア・スタディーズ入門 (ちくま新書)

 

 

*1:生物学的な意味での性が「性別=セックス」という事になる。

*2:そもそも以前読んだ“Through the Language Glass”に依ればgenderと云う単語は元々はその使用を性的区別に限定するものではなくジャンルだとかタイプだとかと同義だった様だ。同書には以下の様な“gender”の使われ方も記されている。
In English, both senses of “gender”— the general meaning “type” and the more specific grammatical distinction— coexisted happily for a long time. As late as the eighteenth century, “gender” could still be used in an entirely sexless way. When the novelist Robert Bage wrote in 1784, “I also am a man of importance, a public man, Sir, of the patriotic gender,” he meant nothing more than “type.”

*3:現実にはXXorXYだけではなく各種Inter Sexualも生まれ得るのだけれども、そこに関してはまだ考えが及ばない。

*4:Tan et al. 2016 Neuroimage; Marwha et al. 2017 Neuroimage. つまり、私は散見される、人に於ける認識や思考の性差を強調する報告を余り信頼していない。勿論、齧歯類に於ける信頼できる研究に於いて、脳に於ける性ホルモンの作用の性差やら幾つかの情動的行動に於ける性差やらが多数報告されているので、異なる点がある事自体は事実だろうけれども。

*5:もしかしたらもっと多次元的な物かもしれないが、現状それを巧く表現できない。

*6:これに関しては、本書の著者だけではなく多くの研究者が同様の指摘を行っており、広く受け入れられている考え方である。

*7:例えば、同性愛者による両性愛者・トランスジェンダー差別や、セクシャルマイノリティカップル間でのDVなど、セクシャルマイノリティ間でも権力勾配が生じる場合は当然ある。

*8:逆説的にゲイコミュニティに於いてゲイジェンダーが固定化していく可能性もある。

*9:勿論、選択としての同性婚が認められるべきであるというのはその通りである。

*10:ただ、ここまで突き詰めて考えれば、「普通」に安住する人々が多様性のone of themに引き摺り降ろされる事に抵抗を感じる事も想像できる。

*11:早速、この読書案内で紹介されている『現代思想2015年10月号 特集=LGBT 日本と世界のリアル』を読んでみた処、多様な議論論考が掲載されており、非常に興味深かった。