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(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

古事記に纏わる副読本(kindle版) その1

古事記の物語を大まかに掴む為の本

 最近、池澤夏樹・現代語訳の『古事記』を読むに当たって何冊かの古事記関連の書籍を読んだ。いずれも中々面白い処のある本だったので、覚書をしておく。

 まず、ここで紹介する古事記関連書籍は全てkindle版のものである。電子書籍に限定しなければ、より多くの参考書籍が存在するのだろうし、例えば西郷信綱の著した書籍は間違いなく必読の書なのだろうが、残念ながらkindle版は存在しなかった。各出版社が早く電子書籍化に踏み切ってくれる事を切に願うのだが、まあ現状無いモノは仕方が無い。と言う訳で、私の個人的事情からkindleで読めるものだけを読んだ。本居宣長の注釈書は一応kindleで読める様なのだが、私の怠惰の為に未読である。

 結局、手頃な新書を中心に10冊程読んだのだが、読んだ中では取り敢えず、こうの史代の『ぼおるぺん古事記』は非常にお奨めだと思った。古事記を読んだ事が無い人はこの漫画を取っ掛かりにしてその世界に触れて行くと良いのではないかと思う。

 この覚書では「古事記の物語を大まかに掴む為の本」3種類について思った処を記しておこうと思う。

 『ぼおるぺん古事記』 こうの史代

 世の中に様々な古事記のダイジェスト版の様な物が存在するが、このこうの史代の『ぼおるぺん古事記』は古事記上巻に親しむ為の本(漫画だけれども)としては最良のモノだと思う。何と言ってもその絵が綺麗に4頭身でデフォルメされており、可愛らしいし、ただ可愛らしいだけでなく、神々の名前の漢字そしてその役割に込められたモノを分かり易く絵にしている処も良い。この、こうの史代と言う作家は最近『この世界の片隅に』のアニメ映画化で有名になるまで全く知らなかったのだが、凄まじく画力の高い方の様で、ボールペンで描いたというこの漫画の描き込みは物凄い。単なる古事記の漫画化というレベルを越えている。

 さて、勿論漫画としてのレベルが高いのはその通りなのだが、それに加えて個人的に良いなと感じた処が、人物達の科白が基本的に古事記の原文の科白をそのまま使用している処である。つまりこの漫画の中では基本的に皆古文調で話している。これが案外に違和感が無く気持ち良くすらすらと読めてしまう。作者の科白の選択が良いのかもしれない。更に、科白が原文のままなのでそれを補うためだろう、注釈の充実ぶりもスゴイ。イザナギとイザナミの会話「あなにやしえをとこを」「あなにやしえをとめを」、これが、注釈ではこうなるのだ「あれまあ立派な男の人!」「おやまあまぶい娘さん!」。堪らない。堪らなく良い。ただ、この漫画の豊富な注釈に関しては所々に色々と異論が出る部分も有ると思うので、この注釈を楽しんだ後にはまた別な注釈を読んで古事記の細部の様々な解釈のバラツキを確認してみると、更にスルメを噛む様な味わいを愉しむ事に繋がると思う。

 漫画部分の前に用意されている物語の概要も分かり易いし、所々で神々の系譜が分かり易く漫画内で示されているのも文句なしである。更に圧巻なのが、3巻の最後に描かれている、全神々の系譜図である。ここに至っては脱帽するしかない。こうの氏の古事記の神々への愛の深さを感じる。因みに、私は古事記自体は最近何度も読んでいるのであるが、この『ぼおるぺん古事記』に於ける、スサノオがオホクニヌシを根の国から送り出す場面では少しうるっと来てしまった。3巻の最後のオマケ漫画も面白うてやがて悲しき的な趣があって良い。

 古事記というものは池澤夏樹も示唆していたが、元々は声に出して語り継がれて来た物語を音を重視した大和言葉で書き記したものだろう。だからこそ、その原点には声に出してそして身振り手振りを交えて演じながら伝えるという演劇的なモノも有ったのではないだろうか? そうやって考えてみると、文章は文字だけであるが、漫画というものは視覚に依る情報が相当に多く、古事記の物語のそもそもの在り方からすれば、漫画中の人物が演じているという形でその原点に近いのかもしれない。実際、歌をキッチリと読まないと情景を思い描きにくいオホクニヌシとスサリヒメの歌交わしや、ホデリが踊った舞等は漫画で読むとその光景が圧倒的に感じ取り易い。

 この『ぼおるぺん古事記』は本当に万人にお奨めの古事記入門書である。古事記の上巻しかカバーしていないのが非常に残念で、今後また機会があるのであれば、残りの部分も描いてくれる事を期待して止まない。第3巻の最後に掲載されている後書きに依れば、中下も描く積りがある様ではある。実現する事を切に願っている。

[まとめ買い] ぼおるぺん古事記
 

 

 『楽しい古事記』 阿刀田高

 古事記のあんちょこ本というモノは世の中に沢山あると思うのだが、変なものを最初に手にしてしまうと、変な解釈が脳内に流れ込んで来て、古事記を誤解してしまいかねない。であるから、最初に読むとなるとまあ無難なモノがお奨めになって来る訳で、そういう意味に於いて、この阿刀田高の『楽しい古事記』はかなり無難な線を行っていると思う。阿刀田高の名前は昔々から良く目にしてはいたのだが、何を書いている人なのか全然印象になかった。今回、古事記のあんちょこ本を探していると、阿刀田氏はどうやら様々な古典の入門書みたいなモノを書いているという事が分かった、のみならず、例えば、最近ネットで見掛けたキリスト教に親しむ為の書籍みたいなリスト*1でも阿刀田高の新約聖書に関する入門書の様な物が挙げられていた。つまり、まあ無難なんだろうと思って購入して読んでみた処、上述した通り正に無難だったわけである。

 この本は基本的には古事記の物語をあっさりと軽快に紹介していく内容であって、まあある意味現代語訳古事記と考えても良いかもしれない。上で紹介した『ぼおるぺん古事記』の場合は古事記の上巻しか漫画化されていないので全体のお話を掴まえる事は出来ない。その点、こちらの阿刀田氏の『楽しい古事記』は上中下全てのお話を簡単にそれでも省略しすぎずに阿刀田氏の言葉で語り直しているので、古事記の全体を捉えるには非常に便利である。まあ、イメージとしては古事記の筋を読者に向かって噛み砕いて説明している感じか、噛み砕いていると言っても注釈的な部分は一般的な解釈にのっとっていると思われるし、変な独自理論みたいなものもないので最初に参考にするには癖が無くて良いと思う。この古事記の説明の部分と実際に宮崎高千穂や島根出雲やらの古事記関連の旧跡を阿刀田氏が訪れた際の旅行記みたいなものとが交互に現れてきてまあこれも飽きずに読める。この本ならではの処はこの旅行記の部分かもしれない。

 当然、本書もkindle版で読んだ。物理書籍に解説やらが付いているかどうかは分からないが、このkindle版には何も付いていなかった。しかし、このkindle版の表紙はもう少し何とか成らなかったのだろうか?幾ら電子書籍で表紙が重要でないとはいえあんまりである。

楽しい古事記 (角川文庫)

楽しい古事記 (角川文庫)

 

 

 『現代語訳 古事記』 福永武彦

 福永武彦は前回、現代語訳を読んだ池澤夏樹の父親である。この人も相当な文筆家だったらしいのだが、どれか読んでみようと思いつつも手が回らなくてまるで読んでいなかった。今回、池澤氏の『古事記』で巻末の参考文献の処にこの現代語訳が載っていたので、おお!、と思い、そして幸運な事にこれにはkindle版が存在したので早速読んでみた*2

 福永武彦の現代語訳は非常に柔らかで丁寧な日本語である。これから比べると、池澤版はやや砕けていると言えるかもしれない。勿論、それぞれ雰囲気の異なる良さがあってどちらも甲乙つけ難い。この福永版の最大の特徴は、古事記を現代語訳した地の文と内容に関する注釈が混ざって連続して綴られている処にある。これはもう言うまでもなく読み易い。地の文の部分だけだと、やはり、現代の我々にとってはさっと理解するには難しい内容がしばしば出てくるのであるが、注釈的内容が不自然無く織り込まれているので、するするするすると読んで行ける。ただし、これは大きな強みであると共に弱点でもある。と言うのも、結局の処、注釈というものに絶対的な正解は無い為、注釈と地の文の部分の区別が一瞥して分からないというのは、それなりに問題なのである。読み易さと引き換えに、情報の偏りも知らずに受け入れる事になってしまう*3。まあそこさえ気を付けて読めば、古事記の現代語訳としては屈指に読み易いものだろうと思う。同様の書籍に田辺聖子訳のものがあるのだけれど、こちらはkindle版は見つからなかった。田辺版もそのうち読んでみたい。

 古事記本文に関しては上述した様に本文と注が一体になっているが、歌に関しては、注釈は別個に施されている。この福永武彦に依る歌の注は中々読み応えがあるので、この部分を楽しみに本書を読むのも良いかもしれない。最近、古事記関連書籍を読み漁っているうちに、大体、こういう古典書籍の場合は注の味わいがかなり大きい事に気付いた。勿論、「ムー」の様な無茶な解釈を披露された場合は非常に困るのだけれども、歌の解釈なんかは福永武彦みたいな信頼できる文筆家の解釈を読んでみたくなるのが人情である。実際、カルノミコとカルノオホイラツメの兄妹悲恋の交わし歌の注釈なんかは非常に丁寧な詩的解説で、こういう処は小説家文筆家による注釈の本当に良い処だと思う。

 この本のもう一つ良い処は、解説がキッチリと収録されている処である。この解説は山本健吉という人が書いている。古事記を訓読みする事について、本居宣長がいかに美しい宇宙を古事記から編み出したのかについて、述べられていて、読んでいて益々古事記の世界に惹き寄せられるし、本居宣長の『古事記伝』も読まにゃいかんなという気分になる。

不完全な古事記の表記法を基にして、宣長によって創り出された、完璧に美しい小宇宙が『古事記伝』であることを、改めて認識することになるのである。それによって古事記は日本人に親しい世界となったのであって、この場合、美しすぎる宣長の訓みでなく、もっと合理的な今日の学者たちの訓みによっては、あれほどの伝達機能を発揮しえたかどうか疑わしい。

こんな風に書かれたら読まずに置いておく訳にはいくまい。心に余裕を作って何とか読んでみたい。しかし、こんなに人を古事記に惹き付ける解説を書く、山本健吉という人はどういう人だろうと思って、調べてみると、折口信夫の弟子でかつ明治の評論家石橋忍月の息子だそうだ。この人の文章も探しておいおい読んでみたくなってきた。

 この福永武彦の『現代語訳 古事記』はその訳の柔らかさ美しさのみならず、歌の注の充実、そして山本健吉の解説も合わせて、古事記をこれから楽しもうという場合に自信を持ってお奨め出来る一冊である。

現代語訳 古事記 (河出文庫)

現代語訳 古事記 (河出文庫)

 

 

*1:キリスト教書100選|日本キリスト教団出版局

*2:今更気付いたのだが、子供の頃に読んだ岩波少年文庫の古事記は福永武彦による再構成ものだった様だ。うーん岩波のセレクションの良さには脱帽である。

*3:池澤版の場合はこの問題を避けるために、現代語訳ではあるが、注釈は別になっている。紙媒体だと注釈形式は可読性を低くする事が多いけれども、電子書籍の場合はそれが左程苦にならないのでまあ技術の進歩というものはなんとも大きい物である。因みに、注釈者によって解釈にバラつきがあるように、解釈以前の読み下し方にも色々な遣り方が存在するし、これも解釈に影響を与える。そこに関しては多数の古事記注釈書を比較するしかないと思う。