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(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

『アクロイド殺し』 アガサ・クリスティー

覚書 アガサ・クリスティー 推理小説

 情報化社会の恐怖

 私がアガサ・クリスティーを良く読んでいたのは随分昔の話であって、当時はポワロものは何冊かは読んでいたような気がするし、勿論、この『アクロイド殺し』も読んだのを覚えている。微かな記憶を辿ってみる処、当時はこの小説にあまり感心しなかったような記憶があり、ポワロものであれば、『オリエント急行の殺人』だとか『ABC殺人事件』だとかの方に興味を惹かれていたような気がする。

 最近、ミステリーベスト何々の様なリストに載っている名作とされる推理小説を読んでいる訳であるが、例えばそもそも順番に読んでいってみようと思った東西ミステリーベスト100に於ける西洋の上位を見てみると、『アクロイド殺し』は旧版で8位、新版で5位となっている。これは同じクリスティーの『そして誰もいなくなった』に比べるとやや人気は劣るが、上記した『オリエント急行の殺人』・『ABC殺人事件』よりも愛好家が多いという事である。そして、江戸川乱歩の個人的ベスト10を見ると、クリスティーの作品の中からはこの『アクロイド殺し』が選ばれているのである。となると、これはもう再読必須である、と云う訳で、早川から出ている羽田詩津子氏による邦訳版を読んでみた。

 さて、私の記憶力は非常に貧弱であるので、当然の事ながら、『アクロイド殺し』の詳しい内容は完全に忘れてしまっていたのであるが、残念な事に、これは本当に残念な事に、ある一点、この小説の根幹に関わる部分のみは未だにハッキリと脳裏に刻まれてしまっていたのである。まあそのような状況でも、いや逆にそのような条件だからこそか、細部の仕掛けによく注意しながら読み進める事が出来て、ある意味倒叙探偵小説のような読み方を楽しめた。私の場合どうにも精緻な推理をするのが苦手なようで、倒叙小説として読んでも、犯人に繋がる証拠は丸で皆目見当が付かず、最後のポワロ氏の推理披露に至ってやっと合点がいったという情けない結末ではあったのだが。まあこうやって読み直してみると、この『アクロイド殺し』は正統派の本格推理小説だったのだな、と改めて感じさせられる。そして昔にこの小説を読んだ当時私が余りこの小説に惹かれなかった理由も同時に分かった気がする。私はどうもこの小説で使われている様な、トリック(肝腎の方では無くて、細部のトリックの方に関してである。)はどうにも好きになれない所があるのだ。まぁこの辺は個人の好みであるし、肝腎のトリックは確かに素晴らしいものだと認めざるを得ない。

 この小説の肝腎のトリックに関しては皆言及の仕方に苦労する様で、そんな中でも以下に挙げるblogの”ねこ”氏の記事や”らきむぼん”氏の記事は巧く紹介する事に成功しているなと感心した次第である。

tsurezurenarumama.hatenablog.com

x0raki.hatenablog.com

 個人的に驚きだったのは”らきむぼん”氏がこの『アクロイド殺し』のトリックに関して何の前知識も無かったという事、その上で犯人の推定に成功されたという事である。特にこの小説に関して何の前知識も無かったと言うのは、この情報化社会の中で稀に見る僥倖だと思う。存分にこの小説を堪能する事が出来たであろう事を想像すると非常に羨ましい。

 と言うのも、私がこのクリスティーの名作群を読んでいた時代にはまだインターネットは一般家庭に普及する以前の時代であって、恐らく、我が家にはPC-VANが存在していたように思うが、勿論、そんなもので情報を調べるような興味も無かった。そして私は、別段推理探偵小説関連雑誌を読む訳でもなく、書店で見付けたクリスティーものを只順番に読んでいっていたのである。この様に情報から隔絶された状態であったにも拘らず、詳しい記憶は判然としないが、恐らくクリスティーの小説のどれかの解説にこの『アクロイド殺し』の肝腎のトリックが明示とは行かないまでも読めば分かってしまう形で提示されていたのを覚えている。つまり、私は最初から一番美味しい種が割られてしまった状態でこの小説を読んだのである。

 随分昔の私ですら上述した様に思わぬ所から種を割られてしまう訳であるから、現代の情報が氾濫している時代に何の知識も無く本書を読むのは非常な困難であろうと思われる。何故なら、現在に於いては、大抵の人間はどれか面白い推理探偵小説を読もうとするとインターネットでその情報を探ることになると思うし、そうなると、何らかの仄めかし無しに、本書の存在に行き当たる事は相当な困難であろう*1。重要な情報に近付こうとする事自体が、その重要な情報の有難味を微減させる働きを持っているというやや矛盾した状態に置かれてしまっているのが本書の現状である。

 ちなみにヴァン・ダインやら小林秀雄やらはこの小説のトリックにはどうにも納得が行かなかった様だ。同様の感想を抱いた読者も相当に多かったに違いない。だからかもしれないが、最近この『アクロイド殺し』に関してはポワロ氏の推理が間違っているという説が散見されていて、濫読家として名高い若島正氏や名探偵として名を鳴らすピエール・バイヤール氏が独自の推理を披露しているようだ。それらの推理を再推理する事で、自分が逃してしまった「『アクロイド殺し』初読の衝撃」の敵を討てるかもしれないと思っている。

 何にしても、この小説が1926年この世に出た時にはあくまで単なる偉大な推理小説であったのだが、90年の時を経る内に、我々の住む恐るべき情報社会へ警鐘を鳴らす怪作へと変容したのである*2。書物は社会と供に変容していく、文脈は読まれる文化文明に依ってその姿をどんどんと変化させていく。現在の我々が暮らすこの過情報の世界は恐ろしい恐ろしい。

アクロイド殺し (クリスティー文庫)

アクロイド殺し (クリスティー文庫)

 

*1:他にも現代であれば所謂叙述トリックの名作『十角館の殺人』や『ロートレック荘事件』等も仄めかしに依ってその魅力をやや減ずる処は有るが、こちらに関しては好みの問題もあって、私はこれらは叙述トリック物であると知って読んだ方が楽しめるのではないかと思っている。

*2:勿論常談である。肝腎の種を読む前に知らされてしまった怨みをここで晴らしているのだ。