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(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

『酒と戦後派 人物随想集』 埴谷雄高

覚書

 埴谷雄高が見てきた人々

 15年程前に埴谷雄高の『死霊』が講談社文芸文庫から3分冊の文庫本で登場し、これは良い機会だから是非とも読まねばならん、と、私のみではなく、周りの読書好きは皆購入した。勿論、文庫本でなければちょっと高価ではあったが簡単に手に入り、それこそ図書館にでも行けば当然の様に読む事が出来た訳ではあるのだが、『死霊』はまずその空気感からして若輩者を寄せ付けない瘴気の様なモノを漂わせていて、おいそれと手を出せなかったのである。じゃあ文庫本なら読むのかと言われれば、それは単なる購入の口実、手元に置いておく口実であって、実際に読むのには窮極に骨の折れる代物であり、中途中途で挫折しながらも何度か読んだ筈だが、正直言って余り良く分からない。そもそも埴谷雄高は「なにをゆうたか」と岡本太郎に綽名を付けられた位で、元々分かりにくいし、さらに『死霊』はそれに輪を掛けて難解になっている感があるのである。

 と言う訳で、難攻不落の要塞に手を焼き続けるのも何だし、いやその苦労してる読中感も心地良いといえば心地良いのだが、他の攻め方もあるだろうし、その幾枝にも別れた思想の蔓草の一部でも捉えようと、これまた講談社文芸文庫から出ている『酒と戦後派』を読んでみた次第である。

 埴谷雄高は「近代文学」一派を通じて戦後の思想界・文壇に大きな影響を及ぼし続けた人物であって、当然の様に交友関係が広い訳で、人物回想録であるこの『酒と戦後派』には往時の有名作家がどんどんと出てくるのである。恥ずかしながら、私はこの「近代文学」一派に関しては全然知識がなく、本書の最初の辺りで語られる近代文学関係者である、荒正人、平野謙、本多秋五、佐々木基一等は全て始めて認識する名前であった。それにも拘わらず、いやそれだからこそか?埴谷雄高の絶妙な語り口を通して彼等の面影を目の当たりにすると、やはり彼等の文章も読んでみないとなと言う気持ちになった。

 石川淳が酔うといつも馬鹿野郎と叫んでいただとか、埴谷と佐々木基一と野間宏で酔っ払って羽化登仙、渡辺一夫の家に深夜押し掛けるだとか、井上光晴の声がでかいだとか、坂口安吾達が探偵小説にハマって『不連続殺人事件』には平野謙と埴谷雄高からインスピレーションを受けた警部が出てるだとか、この辺りの他愛も無い逸話の数々は本当に微笑ましい。別に文学と直接関係ないかもしれないのだが、確かにその文章を書いていた人々が存在していた事を思い起こさせてくれる。

 人々の微笑ましい一面を描きつつも、時として、埴谷雄高は超然とまるで宇宙の煌めきを描く様に人々の像を紡ぎ出していく。こちらは思想文学に心血を注いだ人々の燃焼を映しているのだろう。実在の人物達なのに文中の形容詞だけを読めば、まるで『死霊』の中に登場して違和感が無い様な描写がなされたりもするのである。勿論、良い意味で違和感が無く、言い様もなく素晴らしいのである。

 例えば以下の様な詩人の如き叙述は、私は好きで好きで堪らない。

その頃の島尾敏雄が書いていた作品は直接的な暗い状況が露頭している現在の系列のものとは違つて、いわば暗い深淵をその透明な硝子一枚の下に隠しているところの碧い滑らかな海の平面の上に拡がつた澄明な大気と鮮やかな陽光の空間のなかを奇妙にまた、自由に飛翔しているといつた趣きがあつた。
-はじめの頃の島尾敏雄

高橋和巳は、私の勧めた木遁の術など使うこともなく、自らのなかへ凄まじく白熱したまま潰れこむことによつてその心臓をついに破つてしまつたのであつた。その衰滅する星のかたちは自らのなかへ潰れこむ痛ましい閃光を或る種の予言のごとく私達の前にのこすと、闇の墓場へ向つて遠く飛び去つてしまつたのである。
-穴のあいた心臓

  埴谷雄高の言葉は私にとっては透徹した陰鬱な灰色の世界の中に時々青白く光る稲光や遠くにほのかに赤く煮える溶岩の様な印象で、只々ひたすら俗世から何万光年も隔たった遠い惑星の様に感じるが、それがなんとも言えず心に残るのである。

 人は皆死に現世からどんどんと退場して行き無へと帰してしまう。個人としてはその通りなのであるが、誰が言ったか、人々の記憶には残り、そしてその記憶の中にまた生を受けるのだと言う。随想録をなどを読むと確かに人々が私の心の中に蘇ってくる。当然、そこに生きている人々は、その筆者の、この場合は埴谷雄高の心のプリズムを通して埴谷雄高の文章によって蘇ったもので、かつて存在した一個人とは、勿論共通する処が多いだろうけれども、別の者にもなっているかもしれない。例えば武田百合子に関する回想「武田百合子さんのこと」の中で出てくる以下の件はどうやら埴谷の記憶違いらしい。

そのとき、高い上方からトラックの運転手が発したのは、いわゆる四文字の言葉であった。
「××××!」
「××××が女になきゃ化物じやないか!」
 百合子さんが即座にそう言い返したのは、まことに正確、日常的にも科学的にもまともな真実であるが、運転席の隣にいた武田泰淳もまた即座に言った。
「百合子、口答えしてはいけない!」
-武田百合子さんのこと

 だがどうだろう、私にはこの情景が心に浮かぶし、こんな椿事も実際起きて不思議では無い様に思えるし、そして武田百合子の空気感が確かにこちらに漂ってくる。これはこれでいい。他の人物に関しても、あくまで埴谷の心のレンズが捉えた像が文章として結像しているのだろうけれども埴谷のカメラワークが絶妙で堪らないのである。私は眼前に現れる人々のその姿を存分に楽しむことが出来た。

 しかし長寿であった埴谷雄高は多くの人々を見送ったのだなと、感慨に浸りつつ、最後に巻末の人物一覧表をざっと見ると今まだ生きているのは大江健三郎と加藤乙彦そして当時若かった池澤夏樹くらいだと気付き寂寥感に包まれた。当たり前だが、人はどんどん死んでこの世から消えていく。私の周りの親しい仲間達で鬼籍入りした人はまだ居ないが、これからやがてお互い見送り見送られる事になるのだろう、そして何にもかも全て消えて無くなってしまうのだろう。

酒と戦後派 人物随想集 (講談社文芸文庫)

酒と戦後派 人物随想集 (講談社文芸文庫)