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(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

『青春の蹉跌』 石川達三

 秀才青年の躓きと破滅

 文学好きなれば大抵の人は一度は芥川賞に興味を持った事はあるだろう。ではその芥川賞の第一回目の受賞者は誰かと言う事になると、案外知られていないような個人的感覚がある。第一回目の受賞者は石川達三であり、作品は『蒼氓』であるのだが、このように書いている私自身も今年になる迄、石川達三の存在は実はまるで知らなかったである。勿論、芥川賞受賞作家の一覧などは眺めた事はあるので視覚情報として脳には入力された事はあるのであろうが、一作家としての存在は把握できていなかった。が、本作『青春の蹉跌』を読んでみた。

 さて、そのような特に印象に残っていなかった作家をなぜ読み始めたかというと、ここの所、東西ミステリーベスト100に掲載されていた推理探偵小説を網羅的に読むという試みをしていて、先日読んだ鮎川哲也の『黒いトランク』中に石川達三の名前が出ており、調べてみると芥川賞作家であったという訳である。

 本小説の発表された年は1968年であり、高度経済成長真っ只中そして全共闘運動最高潮といえる時期に登場した小説である。主となる登場人物は二人いる。主人公は眉目秀麗頭脳明晰といった法科のエリート学生で、当時の学生が熱狂していた学生運動に対し冷ややかな態度を取り、己の出世のために資産家の叔父に取り入ろうとする野心家として描かれている。もう一人は主人公と関係を持つ、若い肉感的な男受けのするという設定の登美子である。主人公は己の才覚を恃みにのし上がろうとし、登美子は現状からの救いを求めてその女性的魅力を利用する。ある意味、前時代的な設定でそれぞれの境遇からの脱出を狙うという処が、類型的でやや蔑視的かもしれないが、当時としては特に問題のない設定だったのだろう。

 性的な誘惑というものは確かに若い男性に取ってはある種の罠かもしれない、だが、主人公はある種の安っぽく劣化した超人主義的な側面を備えており、愛情に纏わる諸問題を簡単にそれこそ法律の様に割り切れるものだと考えていた。愛情に関する男女の擦れ違いの描写は現代においても十分に通用しそうで中々興味深い。さて、主人公がこういう態度であると、さあどういう陥穽が待ち受けているのかと、ある意味呆れつつ読み進める事になる訳であるが、案の定と言うべきか登美子が妊娠してしまう訳である。

賢一郎は生れて初めて、女というものに足をからまれた感覚を知った。ぬきさしならぬ、網の中に捕えられた感覚だった。そして今にして始めて、小野精二郎の失敗の本当の意味がわかったような気がした。それだけに、是は何としてでも逃げなくてはならないと思った。同時に、女から逃げることの困難というものを、始めて現実的に知らされたのだった。

 さてこれをどう処理するのか、逆玉の輿に乗る直前、もしくは乗ったかに見えた処で破綻を来すのか?と予想していると、なんと、主人公はどこをどうトチ狂ったのか、この登美子を殺してしまうのである。小説内では愚かしいアリバイ工作等もするのであるが、残念ながら推理小説ではないので簡単に事は露見してしまい、あっけなく主人公は全てを失ってしまう。一つ面白いのが主人公が登美子からの愛情をいいように利用していた積りが、実は登美子の方でも主人公を利用しようとしていたという結末で、お互いの計算違いが悲喜劇を惹き起こしたというお話である。

 全体的に主人公の幼稚さが強調される小説であるが、これはある種の学業優先主義的な物への警鐘でもあったのだろうか?とすれば余りに安直で説得力に欠ける。小説内には同様に女性絡みで立身出世が絶たれた人物がおり、主人公はその人物を馬鹿にし軽蔑するのだが、読者も主人公をその行動ゆえに嗤うだろう。が、ここが入れ子構造であり、躓きというものは何処に存在するか分からず、我々読者とて、この寓話を他山の石として受けとめるべきだという教訓なのかもしれない。まぁ、私の場合は青春なんぞは遠い過去の遺物だし、既に這い蹲って土に塗れているので、もはや「青春の蹉跌」は味わえそうにはないが。

 当時の世相からすればある種の衝撃的事件と受け止められるであろうこのエピソードは恐らく作家のオリジナルの発想ではなく、どこかの実際にあった事件から借りてきたのではないかと調べた処、ソースは定かではないがwikipediaによると、丁度この時期に同様の事件が起きておりそれを参考にした様である。私の現代の感覚であれば残念ながらこの様な事件が起きても不思議ではないように感じる処もあれば、また逆にこの程度の事が殺人の動機になるのかという感慨もある。この小説は様々な設定も含めて1968年当時にその評価のピークが来る類の小説だったように思う。時代性というものを強く反映した小説は、その瞬間には光り輝くが、やがて時代と共に色褪せていく感は否めない。現代の小説でもこの様な性質を持つ小説は散見されるし、これは強みであり弱点でもあるのだろう。興味深い小説ではあったが、個人的に他人に奨める程かと問われれば、そうではないと言うのが正直な答えである。

 最初にも書いた通り、私は石川達三に関しては完全に無知であったのであるが、芥川賞初回受賞者であるのみならず、芥川賞の選考委員も1949年から1971年まで務めており、ある種の文壇の権威であったように思える。にも拘らず、その芥川賞の『蒼氓』が所謂大手出版社から出版されていないのはどういう訳なのであろうか? この『青春の蹉跌』は新潮社から出ているkindle版で読んだのだが、他の多くの作品はどうやら絶版状態の様である。何か理由でもあるのだろうか? もしこの辺りの消息をご存知の方がおらられば、教えて頂けると幸甚の至りである。

青春の蹉跌

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