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(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

『屋根裏の散歩者』 江戸川乱歩

 江戸川乱歩の異世界散歩

 日本にも色々な推理探偵小説作家が存在するが、やはり江戸川乱歩と横溝正史が私の好む所である。おそらく世間一般でも乱歩が群を抜いて愛されているのではないだろうか。私が思うに、乱歩の作品はどこか異世界への扉を開く感があるのである。ここで乱歩の描く異世界は異世界といっても何かファンタジーの世界やSFに出てくるような別の宇宙・惑星といったようなものではない、何か、現実の世界から少し街角を曲がったり、部屋の扉を開けたりした弾みにふと迷いこんでしまうような、しかも現実の世界からそれほどかけ離れていない不思議な世界のことである。

 この短編小説『屋根裏の散歩者』は推理探偵小説と呼んでいいのか分からない。形式は推理探偵小説ともいえるし、探偵明智小五郎も出てくるし、完全犯罪を狙った殺人も行われるのであるが、小説の肝腎の魅力はそこではない。この小説の魅力はやはり、異世界への旅にこそあるのである、そしてその、予期しなかった異世界に、犯人である主人公は飲み込まれてしまったのであろう。

 乱歩の小説の異世界は様々なパターンがあるのだが、この小説では当然、屋根裏である。屋根裏に登って人々を上から眺め、普段の社会生活においては他人が伺い知ることが出来ないような人々の秘められた行動情動を覗き見する、当然、被観察者からは気づかれることもない、まさに異世界に紛れ込んだ主人公のみに許された特権かのように見えるのである。主人公がこれらの体験を興奮と驚愕と恐怖をもって味わう下りがやはり乱歩の独特の心理描写、ある意味変態心理の描写であり、小説の真骨頂である。恐らく、このような覗き見趣味というのはバレないのであればかなり多数の人間が心の奥底に秘めているある種の心理であろうし、乱歩自身が心の中に認めていた感覚なのであろう。覗き見はこの短編小説だけではなく、私が思う乱歩最高傑作の『陰獣』や『湖畔亭事件』においても披露されている。『陰獣』ではこの作品を自己借用して屋根裏を歩き、『湖畔亭事件』ではレンズを組み合わせて隠し望遠鏡を作り覗き見をする。どちらも『屋根裏の散歩者』と同様な異世界感を醸し出している。乱歩は実際に押し入れで寝て偶然屋根裏への入り口を見つけ、少し探索してみたらしく、その体験がこの小説を思い付くきっかけとなったというのだから、なかなか恐れ入る。常に異世界への扉を探していた人なのかもしれない。

 さて、勿論、主菜は上記の屋根裏探検譚であるが、副菜の推理探偵も小粒ながら利いている。この小説自体は倒叙探偵小説として描かれている訳であるが、そのような場合読者は、一見落ち度のないように見える犯罪がさてどのような綻びから露見するのかという所に注意を払いながら読むのである。この小説はネタバレがそこまで問題ではないと思うので書いてしまうが、要点は「自殺に見せかけた密室殺人」及び「特別な動機の無い殺害者の探索」という形になっている。

 1点目は推理探偵ものでは非常に頻出の課題であって、大抵の場合は名探偵が自殺を否定する根拠を見つけることにより、密室の抜け道を探し出してしまうのである。この小説の場合も明智小五郎が被害者の行動様式からその自殺を否定するわけである。小説の中では自殺に見せかせた殺人というのは中々難しいようだ。例えば先だって読んだ鮎川哲也の『黒いトランク』においても被害者の慣習のせいで自殺の蓋然性に疑問が及ぶ場面があるし、今読んでいる久生十蘭の『魔都』においても自殺者がとるとは思えない行動を被害者がしていたがために自殺の可能性が否定されている。他にも多数の例があったように思う。小説の中の人物は中々に自殺しそうにない人物ばかりである。

 2点目は倒叙探偵小説という構成上非常な興味を持って注視される処であって、読者である私は、さあどこに抜かりがあったのかと、わくわくしながら明智小五郎の推理を見守ったわけであるが、ここに関してはこの小説はそれほど切れは良くはない、むしろやや無理がある。というのも、主人公に目星をつけた理由が、殺人事件の起きた日以降タバコを吸わなくなったという行動変化の心理的側面に頼り過ぎており、かつ主人公の心理的体験が行動にそこまで強い影響を与えるというのも、どうにも都合が良過ぎるからである。

 しかしここは江戸川乱歩なのである、それくらいは別に構わない。そして、種明かしの明智の行動科白が頗るふるっている、

犯人の通路は天井の外にないということが分ったものだから、君の所謂『屋根裏の散歩』によって、止宿人達の様子を探ることにした。殊に、君の部屋の上では、度々長い間うずくまっていた。そして、君のあのイライラした様子を、すっかり隙見して了ったのだよ。

屋根裏から他の住人を隙見していた主人公もまた明智から天井越しに隙見されていたのである。この落ちで多少の不満は吹き飛んでしまう、これこそが、江戸川乱歩、である。

 本作は青空文庫kindle版でも読めるが、私は光文社江戸川乱歩全集のkindle版を読んだ。アニメ化を記念した表紙なのが興醒めで購買意欲を大幅に減退させるが、kindleに入れてしまえば表紙は目に入りにくくなるし、これには乱歩自身による解説が付いているので青空文庫版よりも相当にお奨めである。

屋根裏の散歩者?江戸川乱歩全集第1巻? (光文社文庫)

屋根裏の散歩者?江戸川乱歩全集第1巻? (光文社文庫)