(推理小説・探偵小説)覚書

読後の覚書(主に推理探偵小説)

『怪談 牡丹燈籠』 三遊亭圓朝

 幽霊と仇討ちと色と欲

 三遊亭圓朝のお噺の口述速記本が言文一致の開祖であるというのは割かし良く知られた話である様だ。その中でも『怪談 牡丹燈籠』(1884年:明治17年)の口述本が言文一致に与えた影響はかなり大きい様で、二葉亭四迷が文章の書き方に関して悩んでいた際に、坪内逍遥が当時世に出回っていた三遊亭圓朝の口述本を引き合いに言文一致体を奨めたというのが、二葉亭の言文一致の源流にあるらしい。と言う訳で興味を感じて読んでみた。

 この小説、まずは序文からして中々面白い。『怪談 牡丹燈籠』は言文一致体という事の新しさもあったのだろうが、坪内逍遥は『怪談 牡丹燈籠』の序に於いて三遊亭圓朝の語りの巧さを激賞し、文語文でなくとも本職の小説家の手に依るものでなくても、非常に優れていると評している。そして「女子供向け」の小説よりこちらの方が良いと述べているのである。どうやら、一部の小説が女子供向けに見えて重鎮から嫌われるのは明治の時代から変わらない様だ。また、このお話が書籍の形で世に出るに当たって、大きな貢献をしたのが、速記者である若林玵蔵である。彼もまたこの小説の序を書いて居り、そこで、話し言葉を文章化する事がやがて日本言語の改良に繋がるという遠大な野心を吐露している。明治期の人間は二葉亭四迷にしてもそうだけれども、文学の様なやや形而上的存在に関わる人々でさえ、何か物凄い社会的野心と情熱を持っていたのだな、と、現代のややレイドバックした感のある小説家達と比べてその社会への関わり方に対照的な物を感じてしまう。明治時代というのは中枢に居座る人間のみならず、文化に関わる人間にとっても明らかな革命期だったのだろう。

 さて『怪談 牡丹燈籠』本編であるが、大きく分けて二つの部分からなっている。一つ目はその名の通り、牡丹燈籠が関わってくる怪談である。二つ目は奇遇の繰り返しに依ってもつれる長い仇討ちのお話である。この二つはお話の時系列的には仇討の物語の半ばに怪談が挿入される形になっている。

 まず、その怪談の部分である。この牡丹燈籠が登場する怪談というのは、そもそも、中国の『牡丹燈記』にその原型を認められるものであり、夜半に小間使いの灯篭に先導される美女が実は幽鬼であり、その美女に惹き寄せられた男が結局は命を失ってしまうというお話である。この中国の怪談が江戸時代に日本を舞台に変換して物語られ、更にそれがこの『牡丹燈籠』に翻案されている。『牡丹燈籠』の場合は、最初に男女が出会う際には、女の方は生きており、男への未練を残したまま死んだが為に、幽鬼となって現れるのであるが、何と言ってもその牡丹燈籠というものが良い。江戸時代の灯りの無い暗い夜に見える燈籠というものはまるで人魂の様であるというのは容易に想像がつくし、それが牡丹を設えた燈籠で顕れるのだから幽玄さに更に一つ魅力が加わる感がある。また、女幽霊は中国の方もこの小説の方も裕福な家の出という事になっていて、この『牡丹燈籠』に於いては、蝶よ花よと育てられた子女らしく、幽霊になっても駄々を捏ねる。この我儘な感じが堪らない。幽鬼と謂えども、別段男を呪っている訳では無く只単に男に会いたいだけで現世を彷徨っている訳で、悪気もなく男を幽界に道連れにしてしまうのだからこれはこれで凄まじい。逢瀬を重ねる事が男の命を奪う事に繋がると女幽霊の方は分かっていなかった様にも思える。

 さて、怪談部分はこんな感じで、美しくもあっけないのであるが、仇討の方は中々に複雑なお話である。このお話の主人公に当たる登場人物は孝助だと思うのだが、まず、その考助の父親は不良武士であって、飯島平左衛門という武士に酔って絡んだ挙句、あっさりと斬り殺される。ここで、一つ仇討の種が産まれる訳である。武士の子である考助は父の仇を討たなければならない。処が、どういう奇縁か孝助は仇と知らずに飯島平左衛門に奉公する事になる。只奉公するだけでなく、心底その主人に忠義を尽くす訳である。武士の理屈からすれば、仇を討たねばならんし、主君に忠も尽くさせねばならない、という非常に捻じれた状態に気付かない内に陥ってしまう。

 ここで、一般的な現代の価値観から超越して見えるのが、飯島平左衛門の思考形態である。彼は、ふとした弾みに、孝介の仇が自分自身である事に気付き、機会を伺って孝介の仇討を主君殺しの汚名を着せない形で成功させる。

現在親の敵と知らず、主人に取って忠義を尽す汝の志、殊に孝心深きに愛で、不便なものと心得、いつか敵と名告って汝に討たれたいと、さま〴〵に心痛いたしたなれど、苟めにも一旦主人とした者に刃向えば主殺しの罪は遁れ難し、されば如何にもして汝をば罪に落さず、敵と名告り討たれたいと思いし折から、相川より汝を養子にしたいとの所望に任せ、養子に遣わし、一人前の侍となして置いて仇と名告り討たれんものと心組んだる其の処へ、國と源次郎めが密通したを怒って、二人の命を絶たんとの汝の心底、最前庭にて錆槍を磨ぎし時より暁りしゆえ、機を外さず討たれんものと、態と源次郎の容をして見違えさせ、槍で突かして孝心の無念をこゝに晴させんと、かくは計らいたる事なり、今汝が錆槍にて脾腹を突かれし苦痛より、先の日汝が手を合せ、親の敵の討てるよう剣術を教えてくだされと、頼まれた時のせつなさは百倍増であったるぞ、

 人に依ってはここに至上の美学を感じるのかもしれないが、私はそうではない。私はこの部分を不気味に感じる。その気味の悪さをまだ上手く言葉にする事が出来ない。このお話で描かれている朱子学的武士階級価値観の中で、一つ明らかな事は、個々人の命と云うモノに対する淡泊さである。私自身別段「生」というモノ自体がそんなに大層なモノだとは思わないが、物語の登場人物の思想信条の様に生命に対してあそこまで淡白であると、非常な違和感がある。飯島は孝介の父をあっさりと斬り殺すしそれに対しての後悔の様なものは全くない、又、主君への忠義を損なわない形で孝介の仇討を成功させる為にその命を簡単に放り投げる。勿論、お話としては強い信念の下に成り立っている行動であるからして、現代の私が「簡単」等とそれこそ軽薄に切り捨ててはいけないのかもしれないが、現実問題として、ここに称揚されるような価値観は武士がそれを体現出来ていなかったからこそ称揚されていたものであって、歪な価値観であるというのはそうそう外れていないとは思う。只、ある種の自己犠牲的そして儒教的に一貫した価値観と言う物を支配層である武士に社会全体が期待していた処は有るのかもしれない。

 この様に、朱子学的武士階級価値観に従って行動する飯島平左衛門と孝介とは対照的に、このお話の悪役たちは欲と色に目が眩んだ人々として描かれており、目先の欲望に囚われて破滅していき、最後には孝介によって誅殺される事になる。儒教的価値観で現世の欲得を打ち砕くという、勧善懲悪的な物語の典型例だと言えるだろう。

 ちなみに、岡本綺堂が記す処によると、仇討と単なる復讐とは随分異なった物である。

わが国古来のいわゆる「かたき討」とか、「仇討」とかいうものは、勿論それが復讐を意味するのではあるが、単に復讐の目的を達しただけでは、かたき討とも仇討とも認められない。その手段として我が手ずから相手を殺さなければならない。他人の手をかりて相手をほろぼし、あるいは他の手段を以て相手を破滅させたのでは、完全なるかたき討や仇討とはいわれない。真向正面から相手を屠らずして、他の手段方法によって相手をほろぼすものは寧ろ卑怯として卑められるのである。
-『かたき討雑感』 岡本綺堂

これによると仇討というものはそんなに簡単なものではない様だ。江戸時代的武士の価値観で称揚されていたのは単なる復讐ではなく仇討の方であって、これを達成するには相当な労苦を要する事になる。仇討と言ったって、肉親の仇討であればその動機は強く、仇討を達成する為に労を惜しまないという事はままあるかもしれないのだが、これが主君の仇討と云う事になって来ると又少し話が違って来る場合があるのは想像出来るだろう。仇討の相手が相当手練れである事もあるだろうし、もっと言えば、その行方が杳として知れない事も当然しばしばあるだろう。仇討を達成するまでの間は通常の生活に戻る事が困難な訳であるから、幾ら武士の価値観がそれを称揚していたと言っても中々現実に実行し続けるのは難しかったに違いない。只、難しいから仇討なんかしたくない、という正直な感想を世間という奴がどこまで認めるかは、これまた、別問題の様である。

 明治20年前後に登場している、この『牡丹燈籠』や『真景累ヶ淵』に於いては登場人物達は決して諦めず、執念の仇討が達成されるのだが、それから随分時代が経った、大正6年に書かれた、岡本綺堂の『半七捕物帳』の「湯屋の二階」というエピソードに於いても仇討に纏わる話が描かれている。そこで描かれているのは、仇討を認められた武士達が仇敵を捜すという名目の下、湯屋の二階で毎日油を売っているという滑稽なお話である。明治から大正に入って、仇討という行為に真剣になれない、という姿勢が社会の内に許容される様になって来たのかもしれない*1

 単なる復讐とは異なる「仇討」と云うものが世界でどれ位一般に存在する物なのかは分からないが、日本に於いては江戸時代の戯作や文献に見られるだけでなく、明治大正期の文筆家達もまた多くの仇討物を書き記している。その内、仇討文学に関しても総覧してその文化規範による行動への影響を作家達がどのように捉えていたのかを調べてみたい。

 この『怪談 牡丹燈籠』はKindleの青空文庫版で読んだ。岩波から出ているものは残念ながらkindle版にはなっていなかった。結構短いし、物語として普通に面白く読めるし、言文一致の始祖としての有難味もあるので、一読の価値があると思う。

怪談 牡丹燈籠 (岩波文庫)

怪談 牡丹燈籠 (岩波文庫)

 
怪談牡丹灯籠 04 怪談牡丹灯籠

怪談牡丹灯籠 04 怪談牡丹灯籠

 

*1:勿論探せば、仇討に纏わるこの様な武士の滑稽な姿を描いたお話は以前から多数あるのかもしれないが。

“The Big Bow Mystery” Israel Zangwill (『ビッグ・ボウの殺人』 イズレイル・ザングウィル)

 本格密室殺人の嚆矢

 相変わらず、江戸川乱歩の古典ベストテンを読み続けていて、これで丁度5作目を読み終わった。今回読んだのは1891年に発表されたザングウィルの“The Big Bow Mystery”*1、この小説は推理探偵小説史に燦然と輝く密室殺人トリックを提示した見事な作品なのである。

 さて、推理探偵小説のバリエーションには色々な物があるが、その構成要素として重要な物はなんであろうか?随筆『幻影城』に於いて、江戸川乱歩が以下の様に推理探偵小説の定義を行っている。

主として犯罪に関する難解な秘密が、論理的に、徐々に解かれて行く経路の面白さを主眼とする小説である。

 そうつまり、まず、犯罪に関する謎がなければならない。百歩譲って犯罪でなくても何か複雑なそれでいて興味をそそる様な謎がなくてはならない。そして、それが、出来れば偶然ではなく、探偵役が頭脳を駆使して論理的に解決される事が期待されるわけである。つまり推理小説に必要な物は、大別して「謎」と「推理」という事になると思う。

 この2要素の内「推理」に属する部分は案外自由度が少ない。基本的に推理探偵小説に於いては超自然的能力に依る解決は期待されておらず、事実と理知に依る推理の組み合わせで捜査が進む為、推理過程に多少のケレン味があったとしても、基本的にはそこまで突飛な推理と言うモノは存在しない。勿論、この論理的推理過程というモノが小説に登場するまでには小説史上相当な時間が掛かっていて、ポーが1841年にデュパンを創造するまでは明確には存在しなかったのではあるけど、その後のバリエーションはそれ程大きくはない。

 これに対して「謎」の方は相当なバリエーションが存在する。その謎のバリエーションは時代と共に増えていく訳であるが、推理探偵小説の始祖エドガー・アラン・ポーはその小説に於いて既に幾つかの謎の原型を作ったと看做されており、江戸川乱歩は『モルグ街の殺人』を「密室殺人」、『お前が犯人だ』を「探偵即犯人トリック」、そして『盗まれた手紙』を「盲点原理」としてその先駆者的試みを褒めちぎっている。さて、個人的にはこの『モルグ街の殺人』が密室殺人だという事に関してはあんまり納得がいかない。勿論密室は密室なのだが、オランウータンを持ち出したり、窓が固定されていない事に気付かないだとかは、本格的密室とは言い難い。

 と云う訳で、私は『モルグ街の殺人』よりも、この“The Big Bow Mystery”こそが本格的密室殺人を描いた最初の推理小説だと強く主張したい。

 お話の筋は至って単純である。或る朝、労働運動指導者のMr. Constantが部屋から起きて来ない。不安に感じた家主のDrabdump夫人は近所に住む引退刑事Grodmanを呼び、二人で部屋の確認に行く。部屋の扉は固く施錠されており、Grodmanが力尽くで扉を打ち破ってMr. Constantの様子を確かめるのだが、Drabdump夫人の目に入ったのは喉を掻き切られたMr. Constantの姿であった…… 密室の中で如何にして殺人は行われたのか?

 密室殺人は推理探偵小説には良く出て来る謎なのであるが、実は沢山の問題点を孕んでいる謎でもある。まずは肝腎のトリックが詰まらない事がママある。密室殺人トリックというと、例えばポーの『モルグ街の殺人』やドイルの『まだらの紐』の様に動物が都合よく使われたり、また、ディクソンの『ユダの窓』や小栗虫太郎の『聖アレキセイ寺院の惨劇』の様に機械パズル的な物がしょっちゅう使われたりするのだが、正直言って私はこれらのトリックは好みでは無い。その点、本小説“The Big Bow Mystery”は、それらの凡百の機械的奇術に頼る事無く、本格密室の嚆矢として見事に屹立している。次の問題として密室を構成する必然性という点がある。推理探偵小説によっては面白いトリックを考えて巧く密室を提示している事があるのだが、はっきり言って必然性に乏しく却って犯人の候補を狭めてしまっている場合が散見される。これも個人的には興醒めの一種である。多くの作家はこれを必然に依る密室ではなく、偶然が齎した密室という事にして、自縄自縛に陥る事を避けているのであるが、本作はその問題をもクリアしている。犯人が密室殺人を行う必然性がそれなり以上に正当化されており、意図的に密室殺人を行っているのである。

 つまり、“The Big Bow Mystery”に於ける密室殺人は、1891年という推理探偵小説の歴史に於ける比較的初期段階に於いて既に、そのトリックとそしてその必然性に於いて論理的に申し分ないと云う素晴らしい完成度を誇っている。推理探偵小説好きであれば、本作は必読の書であると思う。この密室殺人には、かの有栖川有栖氏も惚れ込み称揚した御蔭で、絶版状態にあった邦訳版『ビッグ・ボウの殺人』が大垣書店に於いて再販され出したという話も有る位である。やはり、人気推理小説作家の影響力は大きい様だ。日の眼を浴びていない他の古典名作にも救いの手が伸びる事を期待して止まない。

 さて、とは言っても、この“The Big Bow Mystery”に問題点が存在しない訳ではない。まず、第一にお話はややフェアさに欠けるのである。この問題が非常に大きい。人に依っては納得が行かないのでは無いだろうか。これは読んでいて非常に残念に思うのが、まだ推理探偵小説に於いてその記述技術が発展していなかったせいであろう、物語中幾つかの部分を巧く描写処理出来ていないがために重大な欠点が顕れてきてしまうのである。例えば同じトリックを現代の作家が現代の記述技術で以って叙述すれば、それこそ稀代のトリックが完成していたと思われる。また、これに付随して、殺害時の方法にも難点がある。この問題も少し手法を変えれば解決出来たと思われる処が惜しい。これらが返す返すも残念だし、これらの点が人に依ってはとてつもない減点に感じるかもしれない。私はその残念な部分は再読の際には脳内で修正しておいた。

 密室殺人が売りのこの小説であるが、他にも中々癖があって面白い。まず、やたら微妙な諧謔に溢れている。例えば労働問題と権力の鍔迫り合いから、切り裂きジャック、『モルグ街の殺人』、そして軽妙な会話の数々である。著者がその前書きで、ちょっと諧謔が多過ぎたかも知れない、と記しているが、これは或る意味良い方向に働いていて物語の中に奇妙な空気感が醸成されている。英語で読んでいる際にこの冗談の部分が中々読解するのに骨の折れる代物であったが、まあ、それ程長い小説ではないので何とか読みこなす事が出来た。また、この1891年時点には相当高齢であったイギリスの大政治家Mr. Gladstone*2も何故かゲスト出演させられている。このMr. Gladstoneは恐らく色々と人気のあった政治家というだけでなく、我々読書愛好家にも縁の有る人物であって、これは又その内紹介する機会もあると思う。

 これらに加えて、読んでいて最も時代を感じる処は、この時代の科学の急激進歩に対する民衆の反応を表しているかの様な記載の数々である。やたら「科学の恩恵」みたいなフレーズが登場するし、ダーウィンやファラデーの名前も登場する。この小説に描かれる19世紀末のイギリスに於いて科学という物がある種宗教に取って代わって前面に浮上して来た様がまざまざと伺える。勿論、作者の書き方は人々の科学に対する姿勢を風刺しているのだろうが、小説等にこの様にして顕れる時代の変化というモノは、いつ読んでもとても面白い物である。

 今回、“The Big Bow Mystery”はkindle版のpublic domainの物を読んだ。それ程長くない小説なので英語版で読むのもそれ程大変ではないと思う。邦訳版『ビッグ・ボウの殺人』は絶版状態の様だが、上述した通り、大垣書店でなら手に入るのかもしれない。

The Big Bow Mystery (English Edition)

The Big Bow Mystery (English Edition)

 

*1:大きな弓が関係するのかと思って読んでみたら、Bowは弓とは全然関係が無くてロンドンの地名であった。訳せば「ボウの大事件」と云った感じか。

*2:William Eward Gladstone;1809年生まれで、この小説発表時点で既に幾度か首相を経験しており、驚くべき事に1892年に再度首相に就任した。ホメロスの熱心な研究家でもあった様だ。

『死者の書』 折口信夫

 繰り返し繰り返し日は昇り沈みゆく、その果てに

 哲学的な思想と云うと、現代の日本では大抵の場合西洋の思想家が紹介されており、人口に膾炙するものも大抵は西洋の思想家である。一方で当然東洋にも東洋の思想が存在する。先日読んだ吉本隆明の『読書の方法』で、近代の日本思想家として柳田國男と折口信夫が紹介されており、吉本隆明はどうやらかなり折口信夫を読み込んでいたようだ。と、偶然と云うか、何と云うか、折口信夫の『死者の書』(1937年)を以前電子書籍で購入したまま読まずに放置していた事を思い出した。

 『死者の書』は何者かが目覚める処から始まる*1

 した した した。

 この繰り返しが音を伴って響いてくる。『死者の書』ではこの擬音の繰り返しが頻繁に登場する。以下に列挙してみよう。

 こう こう こう。
 ほほき ほほきい ほほほきい。
 つた つた つた。
 あっし あっし。 あっし あっし あっし。
 ちょう ちょう はた はた。 はた はた ちょう。

 これらの擬音はそれぞれ数度パターンを少し変えながら繰り返される。擬音とは不思議なものである。この様に文字になって書き表されていても、それらは音を喚起させ、そしてその繰り返しは読者の脳髄に何かしらの律動を生み出す。ソシュールがシフィニアン(記号表現)とシフィニエ(記号内容)という概念を言葉に関して提唱しており、これは大抵の文字言葉に関しては当て嵌るのであるが、この擬音の類に関してはその構造的な制約からはやや逸脱しているようにも思える。

 つまり意思伝達という過程に於いて記号に変換される前の音、例えば上で挙げられる様な擬音が示すものや、もっと言えば実際に空気の振動を伴って耳に直接届いてくる声による意思伝達は、文字という記号に置き換えられて伝えられる情報よりも何らかの力を持っているのではないかとも考えらる。勿論現在に於いては、音から生まれた言葉はそれが文字になり、また表象から生まれた文字と混淆し、例え音となってこの世に発生しても太古の昔程には力を持ち合わせてはいないだろうけれども、それでも単純に文章を読むのと朗読とで何か違う物を感じるのも確かではないだろうか?

 この考えに呼応するかのように、『死者の書』に於いては、語部の媼がその昔より繰り返し繰り返し連綿と口伝されてきた物語を藤原の郎女(藤原豊成の娘)に語り聞かせる。この小説に描かれる時代は、様々な設定や登場人物からして奈良時代の初頭と推定される訳であるが、この奈良時代初頭に於いてもう既に、語部達は社会に於いて、その力や職業的価値を失いつつあった様である。日々は同様の繰り返しに見えつつも刻々と変化していく。奈良時代のその変化を、忘れられつつあった語部のみならず、当時随一の歌人であった大伴家持にも語らせる。大伴家持もまた語部であり、時代の変化と共に忘れられて行く物への感傷を示すのである。

 さて語部の媼が藤原の郎女に語ったのは、かつて滋賀津彦という皇子が王に弓を引き、敗れた後に二上山に葬られ、そして彼が藤原の娘への強い想いを抱いていたという物語であり、後代になって藤原の郎女を呼び寄せたという暗示である。

 ここに来て読者は、この『死者の書』の時系列が錯綜している事にも気が付く。やがて分かって来るのは、この藤原家の郎女は奈良の都で春分に二上山に沈む夕陽を眺めた際にそこに荘厳な俤人を見る。

日は、此屋敷からは、稍坤によった遠い山の端に沈むのである。西空の棚雲の紫に輝く上で、落日は俄かに転き出した。その速さ。雲は炎になった。日は黄金の丸になって、その音も聞えるか、と思うほど鋭くった。雲の底から立ち昇る青い光りの風、姫は、じっと見つめて居た。やがて、あらゆる光りは薄れて、雲は霽れた。夕闇の上に、目を疑うほど、鮮やかに見えた山の姿。二上山である。その二つの峰の間に、ありありと荘厳な人の俤が、瞬間顕れて消えた。

 次の秋分にもこの姿に心惹かれ、更にその次の中日である春分に二上山の麓の当麻寺を訪れる。その当麻寺訪問が郎女が小説に最初に登場した時の出来事である。夕陽に伴う俤人は明らかに阿弥陀如来を仄めかしており、そこに日想観を読み取る事が出来る。

 この小説に描かれる朝日夕陽の光景はひたすらに美しい。太陽は日々昇り沈み、この美しい光景が繰り返されて行く訳であるが、この太陽に代表される繰り返しのモチーフは『死者の書』の至る所に確認できる。例えば、滋賀津彦・天若日子・隼別皇子そして藤原仲麻呂(恵美押勝)に代表される時の権力者に弓引いて滅んでいった者たち、藤原の郎女が千回行った写経、語部達が繰り返し口伝してきた物語、そして、繰り返し繰り返し糸を織る事で生まれる蓮糸織の曼陀羅である。特に、時の権力者達に叛旗を翻して滅んでいった者たちの繰り返しは、『死者の書 続編』に描かれる藤原頼長にも見られる運命であるし、この『死者の書』が世に現れる少し前には二・二六事件も起きており、その繰り返しの無常さが著者の心の片隅にあったのかもしれない。

 藤原の郎女を呼び寄せた滋賀津彦の霊はやがて小説の中で阿弥陀如来を思わせる俤人と混ざり合っていく。郎女は俤人を「おいとしい、お寒かろうに」と慈しみ著物を織る事を思い付く。しかし、寒さに嘆いていたのは、滋賀津彦の霊である。また滋賀津彦の霊が郎女の下を訪れた際に見えた白玉の骨の指、これがやがて俤人の指と重なる。そして郎女は夕陽の中にではなく差し込む月の明かりの中に俤人を見出すのであるが、月の暗示を伴っていたのはそもそも俤人ではなく、滋賀津彦の霊である。権力に歯向かう者と天日の阿弥陀如来が重なっていくこの物語は、時代の叛逆者、そして常に権力構造へ疑問を投げ付ける力への賛歌とも言えるだろう。

 処で、この小説を読んでいると、朝日夕陽の美しい記述に心を奪われるのではあるが、段々と不思議な違和感を感じてくるのである。例えば、様々な歴史的出来事の時系列に齟齬がある。藤原仲麻呂が恵美押勝を名乗りだした時期、大伴家持が平城京に帰ってきた時期、そして伝説の中将姫と思われる藤原の郎女に関する当麻寺での故事などの時期を比較するとそこかしこにズレが生じるのである。また、滋賀津彦や高天原広野姫尊などと云う具合に大和時代の皇族の名前がその歴史的背景から推定されるものとは異なっている*2。更に、そもそもの『死者の書』という題自体が、エジプトの「死者の書」から閃いたものなのは間違いないだろう。その証左に『死者の書』発刊当時の表紙はそのエジプトの「死者の書」の図版から採られているのである*3。これを心に留めておくと、作者が当麻の村人達によるシジマの行を九柱の神の様だと記した事は、エジプトの九柱神を想像させる。また、阿弥陀如来を暗示する俤人の表記にも不思議な所がある。

 春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざまざと見たお姿。此日本の国の人とは思われぬ。(中略)金色の鬢、金色の髪の豊かに垂れかかる片肌は、白々と袒いで美しい肩。ふくよかなお顔は、鼻隆く、眉秀で、(中略)......その俤。

これは冷静に読んでみれば明らかに我々が一般に想像する阿弥陀如来ではない。確かに、両手の示す仕草は阿弥陀如来のそれであるが、金色の髪や肩に垂れかかる程の長い髪、そして日本人と思えない様な姿等は仏像に確かめられるその姿とは全く異なるのである。はてさてこれは何者かと考えれば、実は『死者の書 続編』に日本へのキリスト教の亜流の伝播を思わせる記述がある。それも踏まえて、読者ははたと想い至るであろう、これは絵画や像に良く描かれるキリストの似姿ではないかと。日本の日没にキリストが姿を顕すのはどういう事なのか?

 更に、最後に、窮極的に不自然な記載が存在する。藤原の郎女は奈良のその邸宅から春分秋分の日に二上山に沈む夕陽を眺めている、のであるが、地図を見れば分かるように、春分秋分の日に奈良から見る夕陽は二上山には沈まない*4。どこに沈むかと言えば奈良から真西に当たる、生駒山の辺りに沈む事になる、つまりまるで方角が違うのである。二上山に春分・秋分に太陽が沈むのは飛鳥の都から見た場合の話である。藤原の郎女は一体何を見たというのか?

 私がこの様につらつらと不自然な点を指摘しているのは何故か、と言えば、つまり、この小説は一見、私達が今現在暮らしているこの世界の日本の奈良時代を描いているかの様に見えるのではあるが、実は日本の奈良時代の様でそうでは無い世界のお話なのかもしれないと云う可能性を示唆したいのである。この小説内に繰り返し繰り返される繰り返しのモチーフは繰り返す毎に少しずつその調べを変調させてゆく。吉本隆明によれば、折口信夫の著作にはニーチェからの影響が散見されると言う。ニーチェが提示した「永劫回帰」、それに対して、折口はある種の希望を持って、その回帰の中に僅かながらの変化を持ち込んだのではないだろうか*5?そしてその僅かな変化の積み重ねがこの様な日本の奈良時代の様に見えつつも違和感の残る世界に辿り着いたのではなかろか?

 そうなってくると、藤原の郎女の当麻寺曼荼羅が繰り返し繰り返しの機織りの末の完成は、郎女が小説内で思い当たった、千回写経を達せずに鶯になってしまった伝説の様な数限りない未達成の集積の上に存在するのではないか。藤原の郎女が繰り返しの末の到達に至らなかった伝説に思いを馳せるのは、数限りない回帰の中に、幾度となくこの曼陀羅が完成せずに終わってしまった事をもしくは郎女の満足の行く形では完成しなかった事を暗示しているのではないだろうか。そして、幾度目かの回帰か分からないが、少しづつ変化した世界の果てで、遂にその当麻寺曼陀羅は郎女の心を満たす容を持って完成するに至ったのではないか。億兆の回帰の末にキリストや叛逆の死者達の像をも取り込んだ俤人がその曼陀羅に顕れ得た時、その億兆の回帰の重層故に人々は無限の仏神の来迎を体感したのだろう。

 この小説は幻想的な揺らぎを内包した摩訶不思議な書物である。芥川龍之介がかつて、「この故に如何なる時代にも名声を失わない作品は必ず種々の鑑賞を可能にする特色を具えている。(中略)寧ろ廬山の峯々のように、種々の立ち場から鑑賞され得る多面性を具えているのであろう。」と述べたが、この小説は正にそれに当たると思う。今回、私は岩波文庫から出ているkindle版を読んだ。解説・注釈が充実しているので非常にお薦めである。 

死者の書・口ぶえ (岩波文庫)

死者の書・口ぶえ (岩波文庫)

 

*1:この者は後で滋賀津彦の霊だと判明する。

*2:この表記の違いに関しては作者の意図もあったであろうが、同時に、この時代に於ける全体主義的統制そしてその宗教的裏打ちとしての近代国家神道によって皇族の名前をみだりに小説に書き記す事は叶わなかった、と云う事情もある様だ。

*3:岩波文庫版の表紙は緑帯の一般のモノではなく、黒地にエジプトの図版が描かれている。発刊当時の表紙を再現したものらしい、が確証無し。

*4:地図を確認してこの事実に最初に気付いた時には、本小説の夕陽の描写に心底浸っていただけに相当落胆した。以降、この問題に触れていない『死者の書』評論は、私に取ってはやや興醒めである。勿論この部分に触れていなくても、良く出来ている評論は存在するだろうけれども。ちなみにこの問題は只単に奈良の真西に二上山を設定しても解決しない。何故ならこの小説内では、奈良の南に存在する飛鳥に於いても、春分秋分に夕陽は二上山に沈むからである。つまり、この小説の地球は非ユークリッド的空間であると言える。

*5:勿論、永劫回帰では寸分違わず繰り返されるという処に意味があるのだから、私のこの解釈は永劫回帰とは全く違ったものとなってしまうのだが…… むしろ、仏教の輪廻転生に近いかもしれない。